2013年8月31日土曜日

タイ大丸にて


タイ大丸のなかには丸い池があった。場所は地下か1階、とにかく下の方だ。
池の端に座り込んで、買ったばかりのタイ音楽のカセットテープをひろげていると、すぐ隣りにいた2人の女子高生に話しかけられた。彼女たちは、テープに収録されている音楽について、いろいろ説明してくれた。
「この歌手は、俳優で、ドラマにも出ていて・・・」
「この歌は、古いタイの歌で・・・」
記念に撮らせてもらった写真を日本から送ると、すぐに丁寧なお礼の返信が届いた。
バンコク、1983年。

2013年8月30日金曜日

アユタヤの川べりで


アユタヤの街は四方を川で囲まれていた。街中からどの方向に歩いても、しばらくすると川が見えてくる。
川べりでは、幼い妹の子守りをする少女に出会った。学校には行かずに、親の手伝いをしているという。それ以上詳しいことは、訊くことができなかった。
アユタヤ、1983年。

2013年8月29日木曜日

山田長政神社の鳥居


アユタヤ駅から市街へは渡し船で向かった。
大ざっぱな地図しか持ち合わせていなかったが、山田長政神社へは歩いて行くことにした。雨季だったが幸い雨に降られることもなく無事到着。日本で見るのと全く同じ鳥居には少々感動。
記帳ノートがあったので開いてみると、佐藤栄作、アントニオ猪木などの著名人の名前が並んでいた。
アユタヤ、1983年。

2013年8月28日水曜日

魚を捕る少女


ウドーンターニーは、やたらと広い道路が目立つ街だった。米軍基地があったという名残も、随所に見受けることができた。
路地を入ると、魚を網で掬っている二人の少女に出会った。獲物を見せてもらうと、5cmほどの小魚が数匹。日本の熱帯魚店で売られているパラダイスフィッシュという魚だった。
ウドーンターニー、1983年。

2013年8月27日火曜日

ノーンカーイの人たち


ノーンカーイで出会った人たちは、皆人懐っこかった。ふらりと立ち寄った食堂でも、必ずあれこれ話しかけられた。時には、従業員だけでなく通りがかりの人まで巻き込んで、当時はまだ珍しかった日本人の周りに輪ができるほどだった。
ノーンカーイ、1983年。

2013年8月26日月曜日

船着き場の食堂


対岸ラオスに発着する船着き場は、ノーンカーイのもう一つの玄関口でもある。ここでは食堂も営業されていた。テーブルクロスなどかかっていて、一見高級レストラン風だが、客をむかえる従業員は実にのんびりしたもの。
おかげで、何時間座っていても邪魔者扱いされることはなかった。
メコンを渡る風は心地よく、日本から持参した唯一の本「宝島スーパーガイド タイ」を開いて、優雅な時間を過ごすことができた。
ノーンカーイ、1983年。

2013年8月25日日曜日

ノーンカーイ船着き場


ノーンカーイを流れるメコンの対岸は、もう別の国ラオスだ。
船着き場で乗船する客は、皆ごく普通の格好をしていた。とてもじゃないが、外国に出掛けるという風情は見受けられない。
ノーンカーイ、1983年。

2013年8月24日土曜日

閑散とした雨季のノーンカーイ


夜行列車で到着したノーンカーイは、ちょうど雨が降っていた。
朝、通勤通学時間帯なのに、街は閑散としている。
ノーンカーイ、1983年。

2013年8月23日金曜日

サイアム最北端の地


メーサーイの国境橋の横には、タイ最北端を示す看板があった。
英語表記は「タイ最北端」、タイ語表記は「サイアム(サヤーム)最北端」となっている。
背景には、ミャンマー(当時ビルマ)の山並みが見える。
メーサーイ、1983年。

2013年8月22日木曜日

高層建築の見当たらないバンコク


ラマ9世通り付近。ホテルの部屋から街を眺めても、まだ高層建築は見当たらない。交通量も少ないが、道路の拡幅工事は行われていた。
この頃、1980年代半ばからの建築ラッシュは、まだ想像もつかなかった。まして、バンコクが大渋滞都市になるなど、全く予想もつかないことだった。
バンコク、1981年。

2013年8月21日水曜日

市場の露店食堂


市場の中では、テーブルと丸椅子を用意しただけの露店食堂をよく見かけた。客は、好みのおかずをご飯にのせて、食べているようだった。
何だか落ち着かないし、あまり清潔でないように感じて、とてもじゃないが食べてみようと言う気にはならなかった。
ところが、その1年半後、すすんでこういう店で食事をする自分がいた。
バンコク、1981年。

2013年8月20日火曜日

チャオプラヤ川の水量


高校の地理の授業のおかげで、タイの国土はメコンデルタによるものであることは知っていた。しかし地図上で見ると、川は青い1本の線にしかすぎない。この2本の線によって、こんな広大な土地がつくられたとの実感はなかった。
ところが実際のチャオプラヤ川を目の当たりにして、その水量には圧倒された。同行の友人と、
「これは海だね」
と言い合ったことを憶えている。
流れる水を眺めながら、この水量をもってすれば、相当な土木事業でもなし得るだろうと納得したものだ。
バンコク、1981年。

2013年8月19日月曜日

郊外のフルーツ売り場


タイ旅行での楽しみのひとつが、南国のフルーツをたっぷり味わえるということだ。
スイカ、バナナ、パイナップルなど、日本でもなじみのある物も格安だった。 バナナは小ぶりの、日本でモンキーバナナとして売られる種類が多かった。タイ語では「卵のバナナ」とよばれることを後に知った。
バンコクからパタヤへ向かう途中にて、1981年。

2013年8月18日日曜日

水辺の家並み


川に面して、長屋形式の建物が並んでいた。
船上から、川に密着した生活を垣間見ることができた。野菜を洗ったり、洗濯をしたり、水浴びをしたり・・・
ボートが岸近くを通ると波が打ち上げていく。住居まで浸水するのではないかと心配したが、当の住人達は、そんなことは全く意に介していないようだった。
バンコク、1981年。

2013年8月17日土曜日

滅多に泊まれない高級ホテル


オーキッドツアーが用意したパタヤの宿は、ロイヤルクリフビーチリゾートという、当時パタヤでは最高級のホテルだった。プールはもちろん、プライベートビーチまで利用することができた。
宿泊客は、欧米人、マレーシア人が多かった。
このホテルは、おそらく生涯最高の宿泊先となるだろう。
パタヤ、1981年。

2013年8月16日金曜日

ミゼットが健在だった


街を走る乗り物で驚いたのは、未だにオート三輪が走っていることだ。昔日本でも見かけたダイハツミゼットが、やたら元気に走り回っている。
トゥクトゥク・・・というエンジン音から、タイでは「トゥクトゥク」とよばれることを、後にタイ人から教えられた。
今のトゥクトゥクは、もう少し洗練されたデザインになっている。
バンコク、1981年。

2013年8月15日木曜日

やたらと見かける小市場


ちょっとした広場では、必ずと言って良いほど、誰かが露店を開いている。そういう集まりを市場とよぶなら、バンコクの街はそれこそ市場だらけと言っても良さそうだった。
バンコク、1981年。

2013年8月14日水曜日

頭の上にはタイ国旗


船着き場にて。
ココナッツジュースは、ほんのり甘く、香り良く、何より果肉も食べられるのが嬉しかった。一人では飲みきれないほどの量にびっくり。
同じくらいびっくりしたのは、頭上に飾られているものが、全てタイの国旗であったことだ。
バンコク、1981年。

2013年8月13日火曜日

物足りない水上マーケット


市内観光ツアーに組み込まれていた水上マーケットには、かなり期待していた。食べ物や日用品を売る小舟が群がっている光景を、楽しみにしていたのだ。
この期待は見事に裏切られた。実際は、観光客の乗った船に、1隻、2隻、土産物売りの小舟がやってくるだけのことだったのだ。
バンコク、1981年。

2013年8月12日月曜日

スネークファームにて


ツアーでの宿はマンダリンホテルだった。そのすぐ近くにあるスネークファームも、観光コースに入っていた。
ヘビつかいには群がっていた観光客も、コブラの血の試飲には、皆後退りしていた。
バンコク、1981年。

2013年8月11日日曜日

ドリアンも食す


小さな市場がやたらと目についた。街中だろうが郊外だろうが、買い物には、まず困ることはなかった。そんな市場で買ったドリアンは、聞いていたほどの臭みはなく、とろけるようで実に美味しく感じられた。
バンコク、1981年。

2013年8月10日土曜日

十字架のある公園


ツアー旅行にも、少しだが自由行動の時間があった。ホテルの周辺を散歩していたら、公園に行きあたった。何と言うこともない小さな公園だったが、中央に十字架をぶら下げた像が飾られていた。
タイは仏教徒が圧倒的に多い国だが、キリスト教徒もいることを再認識。
バンコク、1982年。

2013年8月9日金曜日

チャオプラヤ川


観光地はチャオプラヤ川沿いに点在していた。移動は小型のボートをつかう。
川から見える街並みには、まだ高層建築は見当たらなかった。
バンコク、1981年。

2013年8月8日木曜日

旧ドンムアン空港


旧ドンムアン空港は、まだとても規模の小さなものだった。国際線と国内線は、南北で隣接していた。新ドンムアン空港では、南北が入れ替わり、それぞれ随分立派な建物になってしまった。
国際線ロビーのあちこちには、「撮影禁止」の貼り紙があったことが印象的だ。
バンコク、1981年。

2013年8月7日水曜日

王宮にて


このときは「オーキッド・ツアー」というパックツアーを利用したので、水上マーケットやお寺など、バンコクの観光地を効率良く見ることができた。当時は、土地勘もなく、言葉も全くできなかったので、バスであちこち連れて行ってくれるツアーは、とても便利に感じられた。
見かける観光客は、タイ人と外国人が半々くらいだったように記憶する。
バンコク、1981年。

2013年8月6日火曜日

パタヤの沖合には


パタヤビーチのリゾートホテルにて。
沖合には米軍の艦艇が見える。この頃はまだ、米兵の遊び場として栄えた街の、名残りが感じられた。
パタヤ、1981年。

2013年8月5日月曜日

土産物売り


観光地では、個人の土産物屋が売り込みに躍起になっていた。
バンコク、1982年。

2013年8月4日日曜日

船着き場にて


次の観光地へ向かうため、ボートに乗り込む。
バンコク、1982年。

2013年8月3日土曜日

ラン島のパラセーリング


パタヤ海岸からラン島へ。定番のパラセーリング。
ラン島、1981年。

2013年8月2日金曜日

お寺巡りから始まる


タイとの付き合いは、ごく普通の観光ツアーで始まった。三島由紀夫の小説でも有名な「暁の寺」にて。
バンコク、1981年。

2013年8月1日木曜日

バンコクの街角は


ドンムアン空港からホテルに向かうバスの車窓より。
初めて目にするバンコクの街角は、思ったよりは清潔だった。バス停で待つ人の服装もこざっぱりとしていた。ゴミだらけで、もっと混沌とした街だろうという予想は、一応裏切られた格好だ。
その綺麗さが、表面的なものだけであることを知るのは、もう少し後になる。
バンコク、1981年。