2016年6月28日火曜日

緑の壁とイルミネーション

緑の壁とイルミネーション

サイアムパラゴンといえば、買い物とフードコートが有名だが、この壁面緑化(緑の壁)も大したものだと思う。
2011年1月、緑の壁の前にもイルミネーションが飾られていた。
バンコク、2011年。

2016年6月27日月曜日

サイアムパラゴンエントランスのイルミネーション

サイアムパラゴンエントランスのイルミネーション

サイアムパラゴンの開店は2005年末だったろうか。イルミネーションが豪華だと聞いていたので、散歩がてら出掛けてみた。
階段のアーチからして凄い。電飾好きがタイのお国柄とはいえ、随分近代的になったものだ。
バンコク、2011年。

2016年6月26日日曜日

MBKのドリアンのせ餅米

MBKのドリアンのせ餅米

ドリアン自体、癖になる美味しさなのだが、このドリアンのせ餅米(カオニアオトゥリアン)は、さらに個性的食べ物といえる。
これは、ココナッツオイルで炊いた餅米に、完熟ドリアンとココナッツミルクをかけたものだ。ねっとり、とろとろの調和たるや、凄まじい完成度(?)かもしれない。
一食分で少々物足りないとき、仕上げにこれを食べると、満足感を得られること請け合いだ。
バンコク、2011年。

2016年6月25日土曜日

MBKの豚足ご飯

MBKの豚足ご飯

2010年前後は、バンコクでは、マーブンクロンセンター近くのゲストハウスを定宿としていた。
この付近、食べるには不自由しないのだが、夕飯はマーブンクロンのフードコートに行くことが多かった。エアコンも効いていて、メニューは多く選びやすい。そして何より、競争が激しいのだろう、どの店も外れがなかった。
この日は定番の、豚足のせご飯(カオカームー)だ。やわらかく煮込まれた豚足と、漢方の香りがするタレ、添えられた高菜もうれしい。
バンコク、2011年。

2016年6月24日金曜日

タイ最北のパートゥン温泉

タイ最北のパートゥン温泉

日本からの知人を迎えた2006年1月、今まで行ったことのない温泉に行ってみようということになった。
向かったのは、チェンラーイ県メーチャン郡にあるパートゥン温泉だ。伝え聞いた情報では、タイ最北の温泉ということになるらしい。
スーパーハイウェイから西に入り、目指す場所に、着くには着いたのだが。硫黄臭はすれど、何ともうらびれた雰囲気が漂っている。施設自体、かなり荒れていて、もう随分長い間使われた形跡はない。
近年の温泉ブームから、営業すればそこそこ客は来ると思うのだが。今も復活されていないのだろうか。
チェンラーイ、2006年。

2016年6月23日木曜日

MBK前のミスト

MBK前のミスト

マーブンクロン前でイルミネーションを眺めていると、妙な湿っぽさを感じたので見上げると、何処からかミストが出ていた。
タイでミストを見るのは、この時が初めてだったと記憶する。この後は、地方でも度々見掛けるようになった。
バンコク、2011年。

2016年6月22日水曜日

4列シートのトゥクトゥク

4列シートのトゥクトゥク

マーブンクロン前に置かれていた、4列シートのトゥクトゥク。
地元の人も写真を撮っていたから、やはり珍しいのだろう。路上を走っているのは、まだ見たことがない。
バンコク、2011年。

2016年6月21日火曜日

MBKのイルミネーション2011

MBKのXmasイルミネーション

2011年1月の撮影になる。
このイルミネーションは、前の年2010年のXmas用だが、この年の2011年正月には「2011」と表示が変わっていた。2011年のXmasは、11ヶ月以上先のことなのだが…
タイ(諸外国)ではXmasと正月を一括りにする傾向があるので、日本人にはこんなことが気になってしまう。
バンコク、2011年。

2016年6月20日月曜日

MBKを上るサンタ

MBKを上るサンタ

この日の夕食は一人なので、宿から近いマーブンクロンセンターへ出向いた。
1月もそろそろ半ばになるのに、当然のようにクリスマス飾りが残されている。外壁をよじ登る怪しげな人形は、よく見るとサンタクロースだった。この姿は、プレゼントを届けるというよりも、盗みに入る盗賊の一群に見えてしまう。
バンコク、2011年。

2016年6月19日日曜日

散歩の途中で生ジュース


バンコクの街など歩いていると、やたらと喉が乾く。そんなときに有り難いのが、道端の生ジュース屋だ。氷で冷やした、いかにも新鮮なジュースが10~20バーツほど(当時)で飲める。
ミカンの剥き方にもこだわりがあるようで、台上に綺麗に並べられている。
自動販売機も便利だが、路上の、こういう店で買った方が美味しく感じられる。
バンコク、2011年。

2016年6月18日土曜日

ベーンチャシリ公園の池

ベーンチャシリ公園の池

やはり地元の人は水辺を好む。ベーンチャシリ公園でも、池の端で家族連れが寛いでいた。
バンコク、2011年。

2016年6月17日金曜日

ベーンチャシリ公園

ベーンチャシリ公園

グレートシャンハイで北京ダックを食べたついでに、ベーンチャシリ公園を散策した。
この公園は、BTSプロムポン駅前に、シリキット王妃の還暦を祝って造られたものだ。オープンしたのは、1992年8月5日5時55分というから念が入っている。
バンコク、2011年。

2016年6月16日木曜日

1羽1200バーツの北京ダック

グレートシャンハイの北京ダック

よほどの大食いでなければ、1羽の北京ダックは、3人で食べるのがちょうど良い。
この当時は、北京ダックといえば「グレートシャンハイ」と決めていた。BTSプロムポン駅の真ん前と立地条件も良く、値段も手頃で美味しかった。
生地に、ダックの皮とキュウリを巻き込んで食べる。肉は野菜炒めに、ガラは野菜スープにしてもらう。この日は、他にビールを頼んで〆て1560バーツ。
この数年後には1羽1500バーツに値上がりしたので、その後は足が遠ざかってしまった。
バンコク、2011年。

2016年6月15日水曜日

フアラムポーン駅前通りの屋台食堂

フアラムポーン駅前通りの屋台食堂

バンコクでの宿が駅周辺だった頃、夜食はたいてい駅前通りの屋台食堂で済ませていた。
調理する人に直接注文し、後ろの席で待っていれば、すぐに出来たての料理にありつける。
「注文に従った料理」と看板が出されたこの手の店では、野菜炒めのせご飯を頼むことが多かった。野菜不足解消になるし、腹持ちもなかなか良い。
バンコク、2011年。

2016年6月14日火曜日

夜のフアラムポーン駅前

夜のフアラムポーン駅前

ソイ・テキサスでシーフードを食べた後、腹ごなしにフアラムポーン駅まで歩いてみた。もともとバンコクには滅多に滞在しない上、夜に出歩くこともほとんどないので、もう何年振りかのフアラムポーン駅の夜景だ。
随分煌びやかになったものだと、その変化には驚かされるが、懐かしさも感じられた。それは、駅前のソムタム売りの姿だ。やはり、フアラムポーン駅前といえば、このソムタム売りの存在が懐かしい。
誘われるままゴザに座りこみ、既に口の開いた、中身が定かでないメコンを舐めながら、激辛のソムタムを口にする。味わいよりも、その雰囲気に身を置くのが楽しかったことを思い出す。
昔に比べて、ゴザはだいぶ綺麗になったし、売り子の身なりもこざっぱりとしている。
バンコク、2011年。

2016年6月13日月曜日

夜のソイ・テキサス

夜のソイ・テキサス

シーフード屋台を出て、ソイ・テキサスを通り抜け、右に折れるとフアラムポーン駅に向かう。
このソイは狭い上、食べ物屋台、カセットテープ屋台などが並び、車の通行も多いので、なかなか気が抜けない。
画像の右に小さく写っている赤い看板が、このソイの通称になっている、「テキサス」というタイスキ店だ。
バンコク、2011年。

2016年6月12日日曜日

ソイ・テキサスのシーフード

ソイ・テキサスのシーフード

シーフード屋台が集まるヤワラートのこの一角は、ソイ・テキサスと呼ばれる。
この横道に、古くからある「テキサス」というタイスキ店の名前にちなんだものらしい。
この日は、3人で、焼きエビ、カニのカレー炒め、野菜炒め、魚のホイル焼き、カニチャーハン、ビールを3本ほど飲んだだろうか、〆て2200バーツだった。
バンコク、2011年。

2016年6月11日土曜日

夜の中華街へ

夜の中華街

友人と連れ立って、夜のヤワラート(中華街)へ繰り出すことにした。
4番の市バスで、エンパイアホテル前で降りれば、道路のすぐ向かい側が目指す場所。写真の左隅に見える店で、シーフードをたらふく食べようとの計画だ。
焼きエビ、カニのカレー炒め、魚のホイル焼きなど、3人いれば色々注文できる。
思い出すだけでも、唾液の分泌が増すようだ。
バンコク、2011年。

2016年6月10日金曜日

宿トンローの朝食

宿トンローの朝食

この日のバンコクでの宿は、友人2人が泊まっている「宿トンロー」にした。当時のバンコクでの常宿は400バーツほどだったので、一泊800バーツは少々贅沢な宿泊になる。
朝食付きということだったが、なかなかボリュームのあるものが出てきた。朝から焼肉で、スタミナが付きそうだ。
チェックイン時、常連客らしき男(日本語を話していたので日本人と思うが)が、フロントの女性従業員に、下卑た冗談を言っていたので、以後この宿には泊まっていない。何事も第一印象は大切だ。
バンコク、2011年。

2016年6月9日木曜日

トンロー屋台街を見下ろす

トンロー屋台街

トンローにあったこの屋台街が消えてしまったのは、実に残念なことだ。
バンコク、2011年。

2016年6月8日水曜日

チャーシューは9枚入り

タイのラーメン

トンローの屋台食堂街で、締めに食べたのはチャシューワンタン麺だ。やはり麺類は、ビールで心地良くなり、頭が半ばぼんやりしていても、するすると食べることができる。
ずっと昔、チェンラーイのラーメン屋で、何でタイのラーメンにはチャーシューがたくさん入っているのか、尋ねたことがある。答えは、
「9枚入っているとタイ人は喜ぶから」
なるほど、タイでは「9」は縁起がいい数字とされている。
「それならワンタンも9個入れてよ」
と言うと、笑ってはぐらかされてしまった。
ここのチャーシューワンタン麺も、チャーシューは定番の9枚入りだ。
バンコク、2011年。

2016年6月7日火曜日

乾杯はビアシンで

singha beer

3人とも、タイとの関わりは古いので、ビールといえばやはりシンハーになってしまう。
その昔、特に地方都市に行くと、もうビールの選択肢はこれしかなかった。1980年代初期までは、コップの底に氷が固まっていた。冷蔵庫の普及で、さすがにそれは見なくなったが、ギンギンに冷えたシンハービールは、暑い国では有り難く、実に美味しく感じられた。
そんな思い出話をしながら飲むビールは格別だ。
2014年だかに大瓶が廃止になったが、最近はまた復活しているようだ。
バンコク、2011年。

2016年6月6日月曜日

トンローの屋台街

トンローの屋台街

古くからの友人と、総勢3人で会食をした。場所はトンローにある屋台街だ。
ここは、広くはないスペースにさまざまな店が入っていて、飲み物は勿論、ご飯類から一品料理、麺類まで注文できるという、有難い仕組みになっている。値段も格安で、味の方も満足できるレベルだ。
この後、再開発のために消滅してしまったのが残念でならない。
バンコク、2011年。

2016年6月3日金曜日

押しボタン式信号があった

タイの押しボタン式信号

ルンピニー公園前で、押しボタン式信号を見掛けた。
バンコクにはほとんど居ないので、もっと前からあったのかもしれないが、初めての発見で少々驚いた。
さて、ボタンを押して、車がちゃんと止まってくれるかが問題だ。この時は、自ら止まる車はなく、どの車も前に倣えでずるずると通り過ぎてしまった。横断者が渡り始めて、やっと車の流れが途切れるという状態だった。
赤信号でも、横断者がいなければ良いだろうといった感覚なのかもしれない。
バンコク、2010年。

2016年6月2日木曜日

チェンラーイ第2バスターミナル

チェンラーイ第2バスターミナル

前年から運用されるようになったチェンラーイ第2バスターミナル。街中にあった旧バスターミナルは県内行きに使われ、長距離バスは全て第2での発着となった。
中心部からはかなり距離があるので、当初は非常に使いにくかった。そのうちに、新旧のバスターミナルをピストン輸送する乗り合い自動車が走るようになり、自前の交通手段を持たない旅行者の不便も解消された。
なお、旧バスターミナルは、第1バスターミナルと呼ばれるようになっている。
チェンラーイ、2010年。

2016年6月1日水曜日

中国寺院の元旦

中国寺院の元旦

中国正月の元旦、センプーホテル前の中国寺院に出掛けてみた。
列をつくるほどの混みようではないが、寺への供え物を持ってお参りをする人が絶えない。
チェンラーイ、2010年。

2016年5月31日火曜日

中国正月の獅子舞

中国正月の獅子舞

チェンラーイには中国系の人が多いので、中国正月は華やかに行われる。
中国寺院から出る獅子舞は、何日もかけて、中国系の商店を一軒一軒周って行く。
チェンラーイ、2010年。

2016年5月30日月曜日

タチレクのミルクティー

タチレクのミルクティー

タチレクの街を散策した後は、たいていこの店でミルクティーを飲む。
ボーダー前ロータリーの近くにある「Valentine」という店だ。この街では立派な店構えだが、大衆的なメニューで、地元の人でいつも賑わっている。
注文したのはミルクティーだけだが、温かいお茶が添えられてくる。ミルクティーは、底の方にミルクがたまっているので、掻き回さなければ飲み進むうちに甘くなってくる。そこを見計らってお茶を注ぎ足す。
皿のパンとお菓子は、テーブルにいつも置かれていて、良かったら食べて下さいというもの。いただけば、その分が勘定にのせられる仕組みだ。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月29日日曜日

タチレクバスターミナル

タチレクバスターミナル

アカ市場の手前には、タチレクバスターミナルがある。
敷地の中には、このようなワゴン車が停まっていて、貸し切りでの利用客を待っている。大型バスは、ターミナル前、アジアハイウェイの路上に停められていることが多い。
ここからチェントンへ行ってみたいと思いながら、未だ果たせずにいる。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月27日金曜日

タチレクアカ市場

タチレクアカ市場

タイ側メーサーイからノービザでタチレクに入国すると、ボーダーから5kmの範囲までの移動が認められているようだ。
アジアハイウェイを5kmほど行ったところにあるのが、このアカ市場だ。ここも地元の人御用達の市場で、傘の下では野菜果物、奥に見える建物では日用品が売られている。
ちょうどこのアカ市場を境に、この先は街並みが途絶え、いかにも郊外という景色に変わる。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月26日木曜日

タチレクバーンコーン市場

タチレクバーンコーン市場

タチレク国境前のロータリーから右手に進み、北側の路地を入ると、地元の人向けの市場がある。売られている物は野菜や果物。奥には屋根付きの売り場もあり、そちらでは雑貨衣料などの日用品の殆どが扱われている。
ある日、この露店で珍しい商品を見つけた。葉っぱに包まれた、野球ボールほどの大きさの物だ。葉には繊毛が生えていて、中身を訊くと豆だという。もしかしてと思い、ひとつ見せてもらうと案の定、それは納豆だった。5つほどあったので、それを全て買い込んだ。
味は日本の納豆と殆ど同じ。やや粘り気が足りないが、箸でこねているとよく糸を引くようになった。
チェンラーイに戻り、知り合いの日本人に配ると、とても喜んでくれた。
この市場、街の人は「バーンコーン市場」と呼んでいる。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月25日水曜日

道路工事前のタチレク


この数年後、国境から5kmほど、街のメイン通りとなるこの道で、大工事が始まった。道路の名称は、アジアハイウェイ2号線ということになり、整備を進める必要があったのだろう。
どのような工事になるかと見ていると、舗装道路の上にそのまま道路を重ねるように進められていった。よって、完成後は、道路が一段と高くなってしまっている。
誰が見ても、この2010年当時の道路の方が自然だ。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月24日火曜日

タチレクの黄金寺院

タチレクの黄金寺院

タイ・ビルマ橋からタチレクに入って、ロータリーを右手に行くと、直ぐに目につくのがこの黄金寺院だ。
地図上での名前は、Tachileik Shwedagon Pagoda という。
その昔タチレクを訪れた時には気がつかなかったので、ここ数年のうちにできたものと思われる。名前の先頭にタチレクとつくのは、ヤンゴンにも同名のお寺があるからだそうだ。
なかなか立派なお寺で、上からの眺めも良かったのだが、あいにくそのときの写真が見当たらない。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月23日月曜日

タチレクのロータリー


この年の2月9日、メーサーイからミャンマー国タチレクに出掛けた。
この国境が公式のものになって、タイから一度出国すると、再入国で30日の滞在許可が得られるのはとてもありがたかった。もちろんこれは2010年当時の状況で、2014年あたりからは、ここの出入国はとても厳しくなっている。
ミャンマー側入国管理を抜けると、いつも様々な人から大歓迎を受ける。現地人ガイド、タクシー運転手、なかには日本語を勉強したという日本人友だち募集中の人もいたりする。ただし彼らの勧誘はしつこくなく、首を振っていれば簡単に諦めてくれる。
その大歓迎の渦を抜けると、このロータリーに出会うのだ。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月21日土曜日

タイ・ビルマ橋その後

タイ・ビルマ橋

メーサーイ国境のタイ・ビルマ橋の上から。
向かって右側がタイ側メーサーイ、左側がミャンマー側タチレクになる。ここは1983年からずっと、定点観察している場所だ。
年々両岸からの埋め立てが進み、この頃にはもう限界に達しているのが良く分かる。その結果、川幅が狭くなっているわけで、雨季には川が氾濫し、メーサーイ側は水浸しになってしまう。膝まで濡らしながら歩いたことが、何度あることか。
メーサーイ、2010年。

2016年5月20日金曜日

フエサイよりチェンコーンへ

フエサイのイミグレーション

ほぼ半日、自転車でフエサイを徘徊。宿泊は出費がかさむため、日帰りでタイに戻ることにした。
フエサイのイミグレーションは、川の側にある小さな三角屋根だった。係官はなんの愛想もなく、スタンプを押すと、パスポートを放り出してくれた。
物価がタイよりも高く、人の笑顔にも出会えない、少々残念なフエサイ滞在だった。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月19日木曜日

フエサイは日帰りで退散

フエサイの街

当初2〜3泊するつもりで来たフエサイだが、あまり魅力を感じるようなものはなかった。メコンを隔てただけなのに、気質もタイ人とはかなり異なって感じられ、話しかけた何人かもあまり愛想が良いとは思えなかった。
宿代も思いの外高くて、これは日帰りで退散するしかないと決心するに至る。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月18日水曜日

第4タイ・ラオス友好橋建設予定地

第4タイ・ラオス友好橋建設予定地

自転車を走らせて、第4友好橋建設予定地まで行ってみた。
フエサイの街からは、かなり南下した場所だった。タイ側の方から、川幅を狭くするような埋め立てが始まっているが、本格的な工事はまだまだ先のようだった。
第4タイ・ラオス友好橋が開通したのは、この約3年10ヶ月後の2013年12月11日のことだった。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月17日火曜日

フエサイの市場

フエサイの市場

フエサイ空港から大通りに戻る途中、小高い丘に市場があった。
売り場は、屋根のある部分と、傘の下にゴザを敷いた露店とに分かれていた。屋根付きの一角では日用品が並べられ、露店では野菜や果物などの農産物が置かれていた。
この市場から山地へ続く道は枝分かれしているようで、農作物などを持ち寄るにはちょうど交通の便が良い。もちろん道を下ればメコンに向かい、タイ同様、このような交通の要衝に市場がたつものだ。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月16日月曜日

フエサイにもカラオケがあった

フエサイのカラオケ

フエサイ空港から大通りに戻る途中、カラオケ屋を発見した。このときは閉まっていたので、休業だったのか、或いは夕方からの営業なのか。街中からは離れているので、現地の人が利用する店なのかもしれない。
漢字表記はどこの国でも共通しているのだろうか。上下拉致OKなどと判読した酔狂な者がいた。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月14日土曜日

フエサイの食堂は高かった

フエサイの食堂

自転車を走らせていると、客で賑わっている食堂を見つけた。知らない土地で外れない食事にありつくには、地元民で流行っている食堂を探すのが早い。そろそろ昼食どき、この店で食べることにした。
メニューには、ご飯ものと麺類がいくつか書かれている。その中で一番上に書かれていたチャーハンを注文する。メニューの先頭には、その店の看板メニューをおくことが多いからだ。
使われている調味料がタイと異なるためか、色はちょっと黒っぽく、味もチェンラーイあたりで食べるチャーハンとは違っている。
そして値段のほうは、何と30バーツもした。当時、チェンラーイの市場食堂では、チャーハンは20バーツが相場。その1.5倍はかなり高い。30バーツなら、大盛りにして、さらに目玉焼きをトッピングできる値段だ。
別にボラれているわけではなく、地元の人も、換算すると同様な金額を払っていた。
後で知ったことだが、宿代にしろ食事代にしろ、この街の相場は、タイよりも少々高いらしい。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月13日金曜日

フエサイ空港の波打つ滑走路

フエサイ空港

フエサイの街から自転車で先ず向かったのは、フエサイ空港だ。別に飛行機に乗るためでも、フライトの予約を入れるためでもない。この空港の滑走路を見たかったのだ。
実はチェンラーイで、知人から、
「フエサイ空港の滑走路は波打っている」
と聞いていたので、それをこの目で確かめてみたかったのだ。
空港の滑走路といえば、平坦で真っ直ぐなものと思っていたが、そうでない波打つ滑走路が存在するなど、実に興味深いことではないか。もし空港内に立ち入ることができたら、自分の自転車で、その波打ち具合を体感してみたいものだ。
外から様子を伺うと、誰もいないようだし、もちろん飛行機の発着予定などなさそうだ。おそるおそる自転車で近づいていくと、奥から空港職員らしき人物が現れた。何の愛想もなく追い払われ、残念ながら遠見からの滑走路見物と相成った。
ちょっと分かりにくいが、確かに左端のほうが波打っているのが確認できる。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月12日木曜日

欧米人の自転車乗りが走る

フエサイの街

フエサイの船着き場から、右手にメコン河を眺めながら、自転車で大通りを南へ向かった。
すぐ前を欧米人のカップルが、自転車を走らせている。荷物の量からみて、ツーリングで旅をしているのだろう。
こちらもゆっくり走っているのだが、しばらくすると追いつき追い抜いてしまった。軽く手を上げて挨拶すると、笑顔で応えてくれた。
ラオス国フエサイ。2010年。

2016年5月11日水曜日

フエサイの寺院

フエサイの寺院

ラオス側のボーダーから街に入ると、まず目に入るのが、お寺に上がるこの階段だ。その名称は、表記の通りに読むと、「ワット・チョームカオ・マニラット」という寺院らしい。
そこそこ立派な寺院だったが、あいにく写真が残っていない。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月10日火曜日

フエサイの船着き場

フエサイの船着き場

タイ側チェンコーンからは、渡し船で僅かの時間だった。メコンは大河というイメージだが、船で渡ればこんなものかと、呆気ないほどのものだ。
船代は50バーツ。客が集まればどんどん出るが、逆にちっとも客が来ないと、いつまでも待たされることになる。
この後、自転車で、ラオス側のイミグレに向かう。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月9日月曜日

チェンコーンの船着き場

チェンコンの船着き場

チェンコーンのバス停車場から船着き場までは、少々距離がある。健脚な人は何でもなく歩ける距離だが、普通の観光客はソンテオで移動する。
この日は折り畳み自転車持参なので、その自転車を走らせてここまで来た。
この数年後にタイ側とラオス側を結ぶ第4友好橋が開通され、外国人の両国間の行き来は橋を渡るようになってしまった。今となっては、この船着き場を訪れる外国人の姿も、もうないのではないだろうか。
チェンコーン、2010年。

2016年5月8日日曜日

チェンラーイからチェンコーンへ

北タイのバス

2010年1月26日、チェンラーイからチェンコーンへ向かった。画像の手前に少し写り込んでいるが、折り畳み自転車をもって、ラオス側フエサイをポタリングしてやろうという魂胆からだ。
バス代は65バーツ。ちょうど道路工事中で、最後尾の座席は埃っぽくて参った。
チェンコーン、2010年。

2016年5月7日土曜日

パヤメンラーイ郡の看板娘

パヤメンラーイ郡の看板娘

この年にチェンラーイ市内で建造されていた橋の名称は、パヤメンラーイ橋ということだった。それにちなんで、メンラーイ王祭り会場でも、パヤメンラーイ郡のブースを覗いてみた。
展示されていた内容は忘れてしまったが、モン族の衣装を着た看板娘の笑顔だけはしっかり記憶している。
チェンラーイ、2010年。

2016年5月6日金曜日

メンラーイ王祭り会場を見渡す

メンラーイ王祭り会場

展望台があったので、会場全体を見渡してみた。
以前、メンラーイ王祭りは、街の東郊外にある陸上競技場で行われていた。それが旧空港跡地に会場が移されて、街中からのアクセスが格段に良くなった。
この年あたりを境目に、遊びに来る客も増えていったように感じる。
チェンラーイ、2010年。

2016年5月2日月曜日

メンラーイ王祭り開催初日

メンラーイ王祭り

メンラーイ王祭りは毎年1月26日に開催される。これは、メンラーイ王がチェンラーイの街を拓いたのが1月26日と伝えられているからだ。
初日、地元小学生も、先生に引率されて見学に訪れていた。
チェンラーイ、2010年。