2014年1月31日金曜日

市場の野菜は新鮮だ


近年、スーパーで売られる野菜は、日本の値段とあまり変わらなくなってしまった。ところが、市場に入り込めば、まだまだ格安で売られている。そして、もちろん、新鮮そのものだ。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月30日木曜日

サムローまで入りこんで来る


タイの市場歩きで注意するのは交通事故だ。買い物客用の通路にも、ときどきバイクが進入して来るからだ。
ぶらぶら歩いているときに、後ろにバイクがいて驚いたことなど、数え切れないくらいある。
通れさえすれば、サムローまで入りこんで来る。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月29日水曜日

市場は人の交流の場


タイの市場は、人同士がとても密接に絡み合っている気がする。近くの売り場同士では、暇さえあればお喋りに興じているし、グループで食事をする姿もよく目にする。
タイの市場に懐かしさを感じるのは、人同士がシンプルに付き合える世界への憧れかもしれない。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月28日火曜日

市場では中国正月の準備


コラートの市場に入っていくと、一際派手に輝いている一角があった。中国正月用品を売る店が並んでいるのだ。
2014年の中国正月元旦は1月31日。大晦日用のお飾りを売る店は、早くも商戦モードだ。
ナコーンラーチャシーマー。2014年。

2014年1月27日月曜日

コラートも朝は大渋滞


コラートも車が増えたようで、場所によって朝の道路は大渋滞だ。
この写真の車の列の先頭には、信号機がある。どうした訳か、信号が変わっても、あまり前には進まない。そのまた先の信号との、タイミングが悪いのだろう。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月26日日曜日

旧市街東のナイトバザール


この夜は、東門近くのナイトバザールに足を延ばしてみた。
こちらのほうが規模は大きく、店の数も多い。暑くなく、寒くもなく、快適な夜の散歩が楽しめた。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月25日土曜日

ソムタム・ムーヨー


同じソムタム屋に行ってみた。
この日の選択はソムタム・ムーヨー。ムーヨーとは、豚肉ソーセージの一種だ。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月24日金曜日

屋台街のウクレレ教室


屋台食堂が集まる一角で、ウクレレ教室が開かれていた。
この日の練習曲は「カリフォルニアの青い空」。アルバート・ハモンドのボーカルでヒットした、懐かしい歌だ。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月23日木曜日

列車でコラートに行くなら


旧市街南門近くに、タノンチラ駅というのがあった。
以前鉄道を使ってコラートに来たときは、ナコーンラーチャシーマー駅からずいぶん歩いた記憶がある。旧市街、またはその周辺に宿をとるなら、こちらの駅のほうが近いだろう。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月22日水曜日

コラート旧市街の北門


東門の次に向かったのは北門だ。
ここはポンセーン門というらしい。ちなみに、西門以外は全て造り直されたもので、昔の面影が残されているのは、タオスラナリー像後ろの門だけらしい。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月21日火曜日

コラート旧市街の東門


ナコーンラーチャシーマーの旧市街を散策してみた。
ずっと東へ行くと、堀が見えてくる。旧市街の東門は、「ポンラーン門」というらしい。門の外側は広い道路で、交通量も多い。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月20日月曜日

旧市街西のナイトバザール


ソムタムを食べた後は、ナイトバザールに繰り出してみた。この日は、旧市街の西、タオスラナリー像の近くにあるナイトバザールへ。
他の場所に比べて規模は小さいが、地元の人を中心に賑わっている。
ナイトバザールがあると、夜の時間を持て余さなくてすむ。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月19日日曜日

イサーンに来たらソムタムを


ナコーンラーチャシーマーは、入り口とはいえタイ東北部に位置する。ここはやはりソムタムで祝杯だろうと、夕食は迷わずにソムタム食堂で決まりだ。
ビールのほうは、ここにはLEOしかなかったが、主役はソムタムなので、こちらは何でも構わない。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月18日土曜日

3年ぶりのタオ・スラナリー像


コラートのホテルに荷を解き、早速タオ・スラナリー像にお参りに行く。
夕暮れ時とあって、ライトアップされていたが、どうも以前と雰囲気が違う。それもそのはずで、ピンクを基調にした装飾になっているのだ。
ナコーンラーチャシーマー、2014年。

2014年1月17日金曜日

ラヨーンのバスターミナル


ラヨーンからは、ナコーンラーチャシーマーへ向かうことにした。久し振りにタイ東北部が呼んでいるような気がする。
バス代は318バーツ(約1000円)。予定では6時間ほどで着くはずが、ラヨーンを抜けるのに時間が掛かり、7時間20分後の到着となった。
ラヨーン、2014年。

2014年1月16日木曜日

ラヨーンの市場はイカだらけ


夜になると、沖合いに緑色の灯りがたくさん並ぶ。イカ釣り船だろうと見当をつけ、翌朝市場に行ってみると、案の定、剣先イカがたくさん売られていた。
生のイカを氷水でしめているようで、桶に入った水を、いつまでもぐるぐるとかき回していた。
ラヨーン、2014年。

2014年1月15日水曜日

シーフードが美味い


ラヨーンの砂浜では、夜になるとたくさんのシーフード食堂が営業している。すこし外れの、母子で経営する店に入ってみたら、これが大当たり。他の店の同メニューより、味が良く、量も多い。
スズキの塩焼きは、この大きさで280バーツ。
ラヨーン、2014年。

2014年1月14日火曜日

ラヨーンの夕陽


海岸を少し東に歩くと、少し出っ張った岩場がある。夕陽見物のポイントらしく、その時間になると地元の人が集まってきた。
ラヨーン、2014年。

2014年1月13日月曜日

ラヨーンでリゾート気分


ラヨーンまで来ると海の水は綺麗だ。砂は細かいので、足をとられることもなく、とても歩きやすい。
海辺を散歩して、気が向いたら泳いだり、デッキで日光浴をしたり。アランドロンよろしく、「太陽がいっぱいだ」
ラヨーン、2014年。

2014年1月12日日曜日

ラヨーンのビーチへ


ラヨーンのバスターミナルからは、乗り合いソンテオが出ている。街中を抜けると、右手にはもう海がひらけている。ビーチを眺めながら、しばらく走るとラヨーンゴールドホテルに到着。
正味30分ほど乗っていたが、ソンテオの料金は20バーツだった。この料金は、距離によって決まっている。
ラヨーン、2014年。

エカマイからラヨーンへ


エカマイにある東バスターミナルから、ラヨーンへ向かった。
大型バスより少し速いだろうと、右側に停まっているワゴン車のほうのチケットを買う。料金は162バーツ(約500円)だった。
座席はやや狭いが、乗り心地は悪くはない。2時間少々でラヨーンのバスターミナルに到着した。
バンコク、2014年。

2014年1月11日土曜日

列車通過中


ラムカムヘン駅を列車が通過する。信号でもそうだが、踏み切りでもバイクはぎりぎりの所まで近づいて待っている。怖くはないのだろうかといつも思う。
左上の高架は、エアポートリンクが走る。これが開通したお陰で、空港との行き来が格段に楽になった。
バンコク、2014年。

2014年1月9日木曜日

こればかり食べていた


タイに通い始めた頃は、何をどう注文していいのか分からなかった。そもそも、どんな料理が口に合うのかさえ知らないでいた。
しばらく試行錯誤して、ラーメンとチャーハンは美味しくて、自信を持って注文できることを知る。結果、ほぼ一食ごとにラーメンとチャーハンを食べ続けていたものだ。
ラムカムヘンで食べたチャーシューワンタンメンは美味しかった。ビアシンはおまけで。
バンコク、2014年。

久し振りの北京ダック


北京ダックは一人では無理なので、人数が揃ったとき限定のメニューになる。今回は3人で、2年前に食べた店に繰り出してみた。
値上がりは仕方ないが、その割りの満足感はなく、結論として次回は他の店に行こうということになった。店内のテーブルも、空席ばかりが目立っていた。
バンコク、2014年。

2014年1月7日火曜日

ビアシンビアタイ


一時期、「ビアシン! ビアタイ!」というCMをよく目にした。
やはりタイに来たら、初っ端に飲むビールはシンハーが良い。友人たちと、バンコクトンローにて。
バンコク、2014年。

2014年1月6日月曜日

裏道はぬかるんでいる


裏道に回ると、まだ舗装されていない道がほとんどだった。雨期真っ只中とあってぬかるんでいる。それが尋常なぬかりみと違って、ある場所には油膜がうき、またある場所はゴミがまき散らされてゴミ混じりのぬかるみとなっていて、歩きにくいこと甚だしい状態だった。
プノンペン、1995年。

2014年1月5日日曜日

車道には車線がない


車は右側通行なのだが、センターラインはない。逆送するバイクや車もあり、危なっかしくて仕方ない。交通事故は当然多いようで、正面衝突の事故を2件連続で目撃した日もあった。事故に遭った人は、リヤカーに載せて運ばれていった。
プノンペン、1995年。

2014年1月4日土曜日

歩道が歩けない


プノンペンでは、1泊15ドルの二-クポンホテルに泊まった。
先ずホテルから外へ出て驚いたことは、歩道を歩くことができない。バイクが、車が、当たり前のように駐車していて、その間さえ通り抜けることが難しいのだ。
プノンペン、1995年。

2014年1月3日金曜日

プノンペンへ飛ぶ


1995年8月、友人2人とカンボジアプノンペンへ飛ぶことになった。チケットは、ロイヤルカンボジア航空5800バーツ(当時約23200円)。
UNTACが去った後のカンボジアがどんなものか、単なる好奇心の乗りだった。
思っていたより物価が高く、両替して持参したドルが、帰りにはほとんど底をついてしまった。
バンコク、1995年。

2014年1月2日木曜日

デパートの酒売り場店員


エディソンデパートドリンクコーナーのすぐ隣りは、酒売り場になっていた。この店では1回も買ったことはないのだが、毎日訪れる日本人のグループに興味があるらしく、いつも愛想良く接してくれた。ただ単に、店番が暇だったからかもしれない。
チェンラーイ、1995年。

2014年1月1日水曜日

アカ族の土産物売り


整備されたチェンラーイナイトバザールは、地元の人や旅行者で賑わうようになっていた。土産物売り場も多く見られ、山岳民族の衣装姿で売る姿が、いかにもチェンラーイらしく感じられた。
「地球の歩き方'13~'14」でも、「チェンマイのナイトバザールに比べると小規模だが、織物、ポーチ、飾り物などの山岳民族の製品に関してはチェンマイより豊富」と書かれている。
チェンラーイ、1995年。