ラベル 1995年 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 1995年 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年5月15日木曜日

カールスバーグが20バーツ


チェンラーイナイトバザールに遊びに行くと、何となくビールを飲んでしまうことが多かった。当時愛飲していたのは、カールスバーグというビールだ。理由は簡単、20バーツ(当時約80円)と安いからだ。
それまでビールといえば、シンハーが圧倒的シェアを誇っていたが、それに待ったをかけたのが、このカールスバーグだ。シンハーより軽い口当たりでシェアを伸ばしたが、値段の安さも大きな魅力だったろう。
1995年のこの年、ビアタイ社がカールスバーグと提携して、ビアチャーンを発売することになる。
チェンラーイ、1995年。

2014年5月14日水曜日

ナイトバザールの腰巻売り


チェンラーイのナイトバザールには、地元の人も普通に買い物に来ていた。
どんな物を買っていくのか観察していると、例えばこの腰巻などは売れ筋のようだった。山岳民族風の刺繍がほどこされていて、普通の腰巻よりもお洒落に見える。市場と大して変わらない値段なら、遊びがてらに来た地元の人にも受けるはずだ。
チェンラーイ、1995年。

2014年5月3日土曜日

タイ・ビルマ橋


1995年12月。メーサーイはとても寒かった。ビルマ側の山から吹き下ろす風が冷たく、路上では凍死者もでているようだった。メーサーイ長期滞在の日本人の間で、ビルマから吹く風のことは「ビルマ下ろし」と呼ばれた。12月のビルマ下ろしは厳しい。
国境の橋の名前を何と呼ぶのか、地元のタイ人に訊いてみた。「タイ・ビルマ橋」と教えられたが、対岸では「ビルマ・タイ橋」と呼ぶのかもしれない。
橋のたもとには、「日立の木」 として知られるモンキーポッドの木が見える。その左手の建物には、免税店が入っている。
メーサーイ、1995年。

2014年5月1日木曜日

プノンペンを去る


プノンペンを訪れたのは1995年の雨期、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が去った約一年後のことだった。
長い内戦を経て、1991年パリ和平協定が結ばれ、1993年民主選挙、カンボジア王国として新たな時代が始まったばかり。賑わいと混乱が、まだごちゃ混ぜの時期だった。
その後、カンボジアを訪れる機会は、今のところない。
プノンペン、1995年。

2014年4月30日水曜日

中央市場の衣料品屋


プノンペンのセントラルマーケット内通路は、買い物客でごった返していて、売り場によっては息苦しくなるほどだった。
ここでは記念として、カンボジアの地図をデザインした2ドルのTシャツを買ってみた。残念ながら、数回の洗濯で糸が解れてしまい、使い物にならなくなってしまった。
プノンペン、1995年。

2014年4月29日火曜日

プノンペン中央市場


セントラルマーケットは、衣食住の殆ど全ての物が揃えられていた。
中央ドームでは、特に金の売買をする店が多く見掛けられた。当時のカンボジアでは、自国通貨より、金やドルのほうが、はるかに価値が高かったはずだ。
プノンペン、1995年。

2014年4月28日月曜日

公衆電話は遊び道具


プノンペンの街角には、やたらと公衆電話が目についた。しかも国際電話が掛けられるものばかりだ。UNTAC用に設置されたものが、そのまま取り残されていたのだろう。
利用する者が去った後は、子供たちの遊び道具になっていた。おそらくこの子たちは、外国人が電話を掛けている様を見ていて、それを真似しているに違いない。
プノンペン、1995年。

2014年4月27日日曜日

店番少女


プノンペンの街で目についたのは、店番をしている子供たちの姿だ。それも圧倒的に女の子が多かった。男の子の店番は、全くと言って良いほど見掛けなかった。
やはりこの国でも、女の子はしっかり者として育てられているのだろうか。
プノンペン、1995年。

2014年4月22日火曜日

プノンペンのゲーム屋


プノンペンの裏通りの一角は、ゲーム屋が集まっていた。
真っ昼間から子どもが遊んでいるので、学校はどうしたのか訊いてみると、小学校は2部制だから昼間でも遊べるのだ、という話だった。
プノンペン、1995年。

2014年4月21日月曜日

プノンペンの屋台食堂


プノンペンの裏通り、路上の一角がちょっとした屋台食堂街になっていた。
メニューは、おかずをのせたご飯や麺類。似たようなメニューはタイでいつも食べていたが、ここではちょっと遠慮しておいた。理由は簡単、美味しそうに見えなかったからだ。
プノンペン、1995年。

2014年4月20日日曜日

花をもつ少女


トンレサップ川の畔に、花をもった少女がいた。目が合うと近寄ってきて、「写真を撮ってくれ」と声を掛けてきた。
大した考えもなく1枚撮ると、すかさず右手を伸ばしてお金の請求だ。何のことはない、押し売りモデルだったのだ。そのために花をもっていたとは、なかなか営業熱心だ。
プノンペン、1995年。

2014年4月19日土曜日

トンレサップ川


プノンペンの街の東側に位置する、トンレサップ川に出掛けてみた。
上流には東南アジア最大の湖、トンレサップ湖が控えているだけに、川幅はとても広い。ちょうど雨季真っただ中とあって、水量も多かった。
川辺では子どもたちが水遊びをしている。
プノンペン、1995年。

2014年4月18日金曜日

ガソリンは計り売り


プノンペンでは、ガソリンも計り売りが主流だった。少量ずつ給油するには、こうしたほうが手っ取り早いのだろう。
タイでも地方に行くと、未だにこのようなガソリン屋を見掛けることがある。
プノンペン、1995年。

2014年4月17日木曜日

大富豪カラオケ


プノンペンで泊まったホテルの真ん前には、派手なネオンを輝かせる大きなカラオケ屋があった。看板には「大富豪カラオケ」と書かれていた。
夜になると、店の前には、割りと立派な乗用車が、ぎっしり駐車されていた。店の外には、入りきれずにあふれた若い女性がたむろしている。ほとんどが、ベトナムからの出稼ぎのようだった。
プノンペン、1995年。

2014年4月16日水曜日

飴はバラ売りされていた


プノンペンの雑貨屋では、バラ売りが目についた。お菓子や煙草、飴など、一つずつのばら売りだ。
庶民の経済力からしたら、バラ売りにしないと売れないのだろう。
プノンペン、1995年。

2014年1月6日月曜日

裏道はぬかるんでいる


裏道に回ると、まだ舗装されていない道がほとんどだった。雨期真っ只中とあってぬかるんでいる。それが尋常なぬかりみと違って、ある場所には油膜がうき、またある場所はゴミがまき散らされてゴミ混じりのぬかるみとなっていて、歩きにくいこと甚だしい状態だった。
プノンペン、1995年。

2014年1月5日日曜日

車道には車線がない


車は右側通行なのだが、センターラインはない。逆送するバイクや車もあり、危なっかしくて仕方ない。交通事故は当然多いようで、正面衝突の事故を2件連続で目撃した日もあった。事故に遭った人は、リヤカーに載せて運ばれていった。
プノンペン、1995年。

2014年1月4日土曜日

歩道が歩けない


プノンペンでは、1泊15ドルの二-クポンホテルに泊まった。
先ずホテルから外へ出て驚いたことは、歩道を歩くことができない。バイクが、車が、当たり前のように駐車していて、その間さえ通り抜けることが難しいのだ。
プノンペン、1995年。

2014年1月3日金曜日

プノンペンへ飛ぶ


1995年8月、友人2人とカンボジアプノンペンへ飛ぶことになった。チケットは、ロイヤルカンボジア航空5800バーツ(当時約23200円)。
UNTACが去った後のカンボジアがどんなものか、単なる好奇心の乗りだった。
思っていたより物価が高く、両替して持参したドルが、帰りにはほとんど底をついてしまった。
バンコク、1995年。

2014年1月2日木曜日

デパートの酒売り場店員


エディソンデパートドリンクコーナーのすぐ隣りは、酒売り場になっていた。この店では1回も買ったことはないのだが、毎日訪れる日本人のグループに興味があるらしく、いつも愛想良く接してくれた。ただ単に、店番が暇だったからかもしれない。
チェンラーイ、1995年。