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2014年5月16日金曜日

スクニランホテルの廊下


初めてチェンラーイに来たときは、訳も分からず、バスターミナル近くのウィアンインホテルに泊まった。当時、街一番の高級ホテルだったが、哀れな日本人旅行者に、階段下の従業員用三角部屋を特別提供してくれた。
翌日、同経営のスクニランホテルを紹介され、そちらに移ると、これが居心地の良いホテルで、親切な従業員が自転車まで貸してくれ、すっかりチェンラーイの街に嵌ってしまうことになった。
写真は通い始めて4年目ごろ、上の部屋ほど安くなるので、最上階の西側に泊まることが多かった。
スクニランホテルは、メーコックビラとともに、チェンラーイでの懐かしい定宿だ。
チェンラーイ、1986年。

2013年10月15日火曜日

市バスで市内観光


当時のバンコクでの過ごし方は、市バスを利用しての観光が楽しかった。市バスはどこまで乗っても均一料金で、バスの番号さえ覚えておけば、まず問題なく同じ場所に戻って来れる。
目的など決めずにバスに乗り、気が向いたところ、面白いものがありそうなところで降車する。 その辺りを歩き回って、降りた場所の反対側から同じ番号のバスで帰る。
こんな風にして遊んでいると、あっという間に1日が終わってしまった。
写真は、49番のバスで行ったワット・イントラウィハーン。
バンコク、1986年。

2013年10月14日月曜日

もう一つの定宿メーコックビラ


チェンラーイでのもう一つの定宿が、メーコックビラだった。
スクニランホテルとの住み分けは、短期で移動するときは街中にあるスクニラン、ゆっくり長居をするときは郊外のメーコックという具合だった。
元学校だったという敷地は広く、教室を改造した長屋部屋、職員の宿泊に使ったという奥の二階建て、そして入って右手には小さなバンガロー、レセプションの上はユースホステル客向けの大部屋と、使い勝手も様々だった。
このゲストハウスを知ったきっかけは、全く偶然のことによる。船着き場に行こうとして、間違えて入り込んでしまったのだ。
チェンラーイ、1986年。

2013年10月13日日曜日

初恋の子に似ている


この年、メーサーイ写真少女たちのリーダーを務めていた少女に、何故か惹かれるものを感じた。記憶を辿ってみると、小学生の頃好きだったA子ちゃんに似ているのに気がついた。目の感じ、口元など、まるで生き写しのようなのだ。
この3カ月後、メーサーイを再訪。また会えることを楽しみにしていたのだが、彼女はもうこの場所には来ていなかった。
メーサーイ、1986年。

2013年10月12日土曜日

メーサーイの写真少女たち


前の年から見かけるようになった、メーサーイのタイ最北地点の写真少女たち。この年には、だいぶ人数も増えて、営業のほうも順調のようだった。
しばらく話した後、集まってもらって記念撮影。一人5バーツのつもりで、
「いくらになるかな?」
「あなたは友だちだから、お金は要らないの」
「ありがとう」
「日本人でしょ。タカチーは知ってる?」
タカチーとは、後に「世界美少女図鑑」という本で、彼女たちを紹介した三輪隆氏のことだった。
メーサーイ、1986年。

2013年10月11日金曜日

国境の川 1986年


タイとビルマを隔てるメーサーイの川。ちょうど中間点が国境と聞いていたので、タイビルマ橋のほぼ中央から下流側を写してみた。
右手タイ側には建物が見えるが、左手ビルマ側にはほとんどそれらしいものは見当たらない。
この後、川は両岸から埋め立てられ、どんどん川幅が狭まっていくことになる。それとともにタイ側では、雨季に洪水が頻発するようになった。
メーサーイ、1986年。

2013年10月10日木曜日

メーサーイ行きのバス


チェンラーイからメーサーイへは、小型バスが運行していた。
初めて利用した1983年のときは、あまりのボロさに驚いた。本当に動くのかと不安になるような代物だが、まあ普通に走ってくれた。それどころか、車内の手入れは意外と行き届いていて、座席なども上手く補修されていた。
運賃は14バーツと、当時の手帳に書かれている。単なる移動の手段とするなら、見映えはどうでも、格安で利用できる実にありがたいバスと思った。
チェンラーイ、1986年。

2013年10月9日水曜日

タウナギはタンブンのため


市場の魚屋で、タウナギが売られていた。
食用にするのか訊いてみたら、川に放すためと説明された。そのときは訳が分からなかったが、後に本で読んで、小鳥や魚の命を救うことで、徳を積むことができるということを知った。
チェンラーイ、1986年。

2013年10月8日火曜日

売られている魚


市場の魚屋で売られている商品を撮ってみた。いずれも、ナマズ、コイの仲間だろう。
大きめのナマズは、輪切りにして売られていく。それを見て、バウムクーヘンを連想してしまった。
チェンラーイ、1986年。

2013年10月7日月曜日

市場に並ぶ魚


チェンラーイ中央市場の散策は飽きない。
朝、昼、夕と、それぞれ雰囲気は異なる。朝は仕込み用の食材を売る店が多く、昼は買い物や食事の客が多い。夕方は持ち帰り惣菜を売る店で賑わう、といったぐあいだ。
魚屋には、海が遠いので淡水魚ばかり、なかでもナマズの類いが多く並んでいた。
チェンラーイ、1986年。

2013年10月6日日曜日

チェンラーイの子どもたち


子どもたちも、とても人懐っこい子が多かった。
道を歩いていると、下校中の小学生と目が合った。にっこり微笑むと、それだけでコミュニケーションが始まる。カメラを見ると、撮ってくれとせがまれた。
天真爛漫な笑顔と言うべきだろうか。
チェンラーイ、1986年。

2013年10月5日土曜日

人懐っこいチェンラーイの人びと


チェンラーイでは、男女問わず、人懐っこい人に多く出会った。道を歩いていても、気軽に声を掛けられる。
飲食店に入れば、必ずと言って良いほど、隣席から声が掛かる。
「どこから来たの?」
「日本だよ」
「珍しいね。一人?」
といった具合に、会話が続いていく。
同じテーブルに招き入れられた経験など、数えきれないほどだ。
チェンラーイの人たちのこの気質のお陰で、この街にますます惹き寄せられるようになっていった。
チェンラーイ、1986年。

2013年10月4日金曜日

ホーナリカーレストランにて


スクニランホテルの前に、ホーナリカーというレストランがあった。当時、街一番という評判の店で、夜の早いチェンラーイの街でも、かなり遅い時間まで営業していた。メニューは、中華とタイが半々くらいだったろうか。
店構えは立派で、店内には鉢植えや池があったが、蚊が多いらしく、席に着くと、メニューといっしょに蚊取り線香を置いてくれた。
地元の人からは、「ウエイトレスも美人だよ」と聞いていたが・・・
チェンラーイ、1986年。

2013年10月3日木曜日

チェンラーイ-バンコクのバス便


チェンラーイとバンコクの間は、タボンファームツアーという会社が運行していた。
日本の観光バスのお下がりのようで、4列シートで45人以上は座れたと思う。ちょうど学校の遠足に使うバスのイメージだ。
当時は道路状況も良くなく、かなりの山道を通らなければならなかった。タイ人は車に弱い人が多く、床に置いたバッグが、前の客の吐瀉物で汚れてしまったこともあった。
チェンラーイの発着は時計塔のまん前。実に便が良かった。
チェンラーイ、1986年。

2013年10月2日水曜日

部屋の片隅に


果物好きにとっては、タイのフルーツはたまらなく美味しく感じられた。この頃は、ドリアンとマンゴスチンの季節には、ほとんど毎日のように食べていただろう。
タイ人に倣って、メコンをリポビタンで割って飲んだりもしていた。
スクニランホテルの片隅にて。
チェンラーイ、1986年。

2013年10月1日火曜日

リリーパークという公園


自転車で遊びに行く先はいろいろあった。なかでもお気に入りは、リリーパークという公園だ。
個人の経営によるというこの公園は、スーパーハイウエイの西側にあった。緑が多く、整備も行き届いていて、寛ぐことができた。
散策をしたり、飲み物を傍らに本など読んでいれば、とても贅沢な時間を過ごしているような気になったものだ。
チェンラーイ、1986年。

2013年9月30日月曜日

自転車のおかげで


スクニランホテルを定宿にしたおかげで、従業員から自転車を貸してもらえるようになった。
チェンラーイの街は平坦な地形が多いので、こんな自転車でもあれば大いに役に立つ。一人であちこち回るうちに新しい発見もあり、ますますこの街にはまり込んでいくことになる。
そして、もう一つの定宿メーコックビラ滞在用に、自分用の自転車を買う羽目にもなってしまった。
チェンラーイ、1986年。

2013年9月29日日曜日

一般家庭の食卓


知り合いのサムローの家に出入りするようになったおかげで、庶民の暮らしを垣間見ることができた。
ある日の夕食のテーブルには、かりかりに焼いた豚肉、豆腐スープ、そしてバナナとランプータンが並ぶ。メコンは、日本人の友人のために、特別用意されたもの。
客が食べ終わるまで、家族は料理に手をつけないという習慣のようだった。
チェンラーイ、1986年。

2013年9月28日土曜日

カシオの時計を手渡す


チェンラーイで知り合ったサムロー夫婦には、たびたび自宅に招かれ、食事をご馳走になったりした。
奥さんに頼まれて、日本からカシオの時計を持って行ったこともある。300バーツで譲る約束だったが、チェンラーイを離れる前夜、
「これしか工面できなかった」
手にしているのは200バーツ。
もちろんそれだけ受け取って、カシオの時計は晴れて奥さんの腕に付けられることになった。
チェンラーイ、1986年。

2013年9月27日金曜日

定宿となったスクニランホテル


1983年、チェンマイから間違えて乗ったバスのお蔭で、ラムパーン経由というとんでもない遠回りをして着いたチェンラーイの街。
先ずはバスターミナルに一番近いウィアンインホテルに飛び込んだ。ところがこのホテル、当時は街一番の高級ホテル。フロントの女性は、場違いに紛れ込んできた日本人旅行者に、普段は従業員が使う階段下の小部屋を特別安く提供してくれた。
そして翌日、同じ経営というスクニランホテルに移動するよう勧められた。こちらは気取りのない、分相応の宿といって良さそうで、その後チェンラーイでの定宿となった。
チェンラーイ、1986年。