2018年11月21日水曜日

獅子舞市場を行く


春節の頃になると、チェンラーイでは獅子舞が始まる。
中国系の店を軒並み回っていくので、獅子もそれを回り切るのは大変なようだ。よって、チェンラーイでは、獅子舞は2週間位続くこともある。
市場内も、勿論その例外ではない。客かと思ったら獅子が現れた、ということで、びっくりする店主もいるかもしれない。
チェンラーイ、2015年。

2018年11月20日火曜日

卒業写真


CVK学園高等部卒業式の日に。
先生を囲んで、記念撮影の一コマ。
チェンラーイ、2015年。

2018年11月19日月曜日

CVK学園卒業式の日


チェンラーイ第一公設生鮮市場西側に、道路を隔ててCVK学園という学校がある。日本で言う、幼稚園児から高校生までが通っているキリスト教系の私立校だ。
知人の娘さんが在校生だったこともあって、顔見知りの先生もいるし、校門の警備員は僕が通りかかると必ず挨拶をしてくれる。
この年の卒業式も2月14日だった。バレンタインデーに合わせたのだろうが、毎年この日に固定されているのかは知らない。
写真は、卒業式を終えた卒業生たちが、式場から出てくるところだ。
向かって右側がタイ国旗、左側はイタリア国旗を横にしたようなデザインだ。これがこの学校の校旗とすると、イタリア(人)に深い関わりがあるのかもしれない。
チェンラーイ、2015年。

2018年11月18日日曜日

ムスリム礼拝の日


チェンラーイ第一公設生鮮市場の南側に、ムスリム通りと呼ばれる一角がある。通りの中ほどにはモスクが建ち、ムスリム料理屋や屋台も出ていたりする。
2月8日の日曜日、ムスリム通りを通り抜けようとすると、モスク前に人集りができている。露店も並んで、何やら催しがあるような賑わいだ。
「今日は特別の礼拝の日」と聞き、外の様子など撮影していると、モスクの中に入るよう誘われた。礼拝室には、子供達が集まって、礼拝の準備をしていた。
「このモスクは中国人が建てた」と言われたが、共産チャイナなのか、台湾系なのか、はたまたタイに同化した華僑なのか、詳しく聞いておくべきだったと後悔した。
チェンラーイ、2015年。

2018年11月16日金曜日

新装なったプレーの公設市場


プレーの大きな市場は、もう一箇所、公設の屋内市場がある。前回の訪問の時は整備工事中で休業していたが、今回はきれいに整備されて買い物客で賑わっていた。
商品も、小分けされたり袋詰になっていたりするなど、売買しやすい工夫がされているが、その分路上市場に比べると、少々割り高にもなっている。

また、この夜から冷たい雨が降り続き、翌日は昼間も気温が上がらない。衣類総出で、日本を発つときと同じような格好で震えていた。天気予報によると、しばらくこんな天気が続くようだ。せっかくのプレー滞在も、これでは動きがとれない。仕方なく、翌々日にはチェンラーイへ向けて出発した。
プレー、2015年。

2018年11月15日木曜日

先ずはプレーの路上市場


プレー到着の翌日、まず出掛けてみたのが、例によって市場だ。この街には、大きな市場は2箇所あるようで、そのうちの一つ、路上市場に自転車を走らせた。
朝の時間帯は、主に食料品を買う客で賑わっている。乾季なので、果物の種類は豊富とは言えない。季節によって、地域によって、市場に並ぶ商品は変わる。
また、市場巡りは人間観察の場でもあり、現地の人の人柄を垣間見ることもできる。
プレー、2015年。

2018年11月14日水曜日

プレーの宿「パラーダンホテル」


プレーでの宿は、バスターミナルから通りに出た正面にある「パラーダンホテル」だ。
一泊530バーツと、僕にとってはかなり高額な宿代になるが、部屋は清潔で機能的、従業員も感じが良い。部屋の機能性というのは、僕にとっては、必要なものは全て揃っていて不必要なものはない、しかも落ち着ける程度の広さを意味する。
日本から持参した折り畳み自転車は、従業員の指示通りフロント脇に置かせてもらう。泥棒など殆いないと聞くこの街では、盗難の心配もあまり感じられない。
このホテルを起点に、快適な乾季のプレーで、数日ポタリングを楽しもう。
プレー、2015年。

2018年11月13日火曜日

ピチットからプレーへ


ピチットから次の滞在先のプレーへは、直通のバスはないようだった。そこで、いったんピサヌロークまで行き、乗り換えてプレーに向かうことにした。
朝のバスターミナルは閑散としていて、バスも2台ほどしか停まっていない。この赤いバスが、8時発のピサヌローク行き。運賃は36バーツだった。
ピサヌロークまでは1時間半。そこからプレーまでは3時間半、バス代は127バーツだった。
ピチット、2015年。

2018年11月12日月曜日

ピチットのワニ園


ブンシーファイ(シーファイ湖)に隣接して、ワニ園があった。
入場料が掛かるものと思ったら、なんと無料で入ることができた。屋内にはワニの剥製などの展示物もあるが、やはり見どころは池に飼われている本物のワニだろう。
ワニたちは、水に浮かんでいたり、陸で日光浴をしていたり、皆くつろいだ様子だ。ワニ用の餌の販売などあるのかと探してみたが、あいにくこの時は見つからなかった。餌やり体験は、休日など、人出の多いときだけの催しなのかもしれない。
ピチット、2015年。

2018年11月10日土曜日

ピチットの湖


ピチットで観光地らしきところといえば、街の南方にあるブンシーファイ(シーファイ湖)くらいだろうか。日本から持参した折り畳み自転車で出掛けてみると、観光地にしてはいかにも地味な佇まいだ。
食堂を兼ねた売店と、飲み物を売る露店が出ているが、客の姿は殆ど無い。湖周辺で見かけた人は、地元の高校生のグループと、遊びに来ていた家族連れだけだった。
昼と夕方と二度行ってみたが、いずれも似たようなもので、いつも閑散としているようだった。その分、静かな時を過ごすことができるのではあるが。
ピチット、2015年。

2018年11月9日金曜日

ピチットのワニの昔話


街の南方ブンシーファイ湖岸には、ソムデットプラシナカリン公園がある。その公園には、ワニと二人の女性の像があった。ピチット県を舞台とした、ワニの昔話に因んだものだろう。
人に化けることができる凶暴なワニが、国王の娘の一人をみそめて誘拐するが、グライトーンという若者がそのワニを退治する。喜んだ国王は、助けられた娘と、もう一人いた娘もグライトーンに与える。その後彼は、二人の妻と幸せに暮らしたと伝えられる物語だ。
公園にある像の、二人の女性はおそらく国王の娘だろう。しかし、この真中のワニは何だろう? グライトーンがワニに化けているのだろうか。それとも退治された凶暴なワニなのだろうか。何とも不思議な像だった。
ピチット、2015年。

2018年11月8日木曜日

ピチットの時計塔


持参した折り畳み自転車でポタリングをしていると、偶然時計塔に出くわした。
大抵の地方都市には、ほぼ街の中心にこのような時計塔があるもので、道路としてはラウンドアバウトとして機能する。
このような時計塔は、その街の特徴を表したものが多く、見比べていくとなかなか興味深い。ここピチットは、ワニの昔話で有名な街だけに、時計を取り巻くようにワニが並んでいる。そんな様子をひと回り、交通量が少ないのでゆっくりと観察することができた。
ピチット、2015年。

2018年11月7日水曜日

ピチット街角の露店


ピチットの通りにも、露店が点々と出ていた。
そもそも路上に出る店は賑やかな通りに出店するものだが、ピチットの街はもともと、交通量も、道行く歩行者も少ない。売り手も実にのんびりしたもので、あまり商売っ気がないように感じられる。
ピチット、2015年。

2018年11月6日火曜日

ピチットの街角


ピチットは、交通量も少ない街だった。日本から持参した折りたたみ自転車に乗っていても、危なく感じたことは一切なかった。
辻からバイクが出てくるが、犬はどこうとしない。見ていると、バイクのほうが避けて通り過ぎていった。
ピチット、2015年。

2018年11月5日月曜日

ピチットを流れるナーン川


オカナコーンホテルから東へ1キロほど行くと、ナーン川が流れている。
かなりの水量と期待していたのだが、あいにく乾季真っ只中。特に今年は水位が下がっているとのことで、まるでどんよりとした水たまりのようだった。
ここにも、小さいながら水上ハウスがいくつか浮かんでいた。
ピチット、2015年。

2018年11月4日日曜日

蜂の巣は天然甘味


ピチットの夜祭り屋台で、蜂蜜が売られていた。蜂の巣の見事な大きさに見とれていると、売り子のおばさんが、試食用に蜂の巣を少しちぎってくれた。そのまま食べてみろと言う。
一欠片の蜂の巣には、まだ生きている蜂の子もいた。丸ごと口に入れると、そのとろけるような美味しさにビックリ。僕の表情に満足したおばさんは、瓶詰めを買って行くよう勧めてきた。
ピチットに長期滞在するならそれも良いが、これからの移動を考えるとちょっと無理がある。代わりに、蜂の巣を小袋に入れて貰った。長辺10センチ位だったろうか、5バーツで良いと言うが、僕は10バーツを払ってそれを受け取った。
宿でゆっくり味わってみると、正しく天然自然のまろやかな甘さは、もう極上の味わいだった。
ピチット、2015年。

2018年11月3日土曜日

ピチットの夜祭りへ


オカナコーンホテルのフロントから、今夜はちょうど夜祭りがあると聞いて、夕飯がてら出掛けることにした。
場所は街の北方、国道115号線沿いにある空き地とのこと。土地勘がないので、果たして無事に辿り着けるか、少々不安もあった。ところが、とにかく周りが暗いので、ほんのり明るい一帯は、すぐに探すことができた。
いつも市場で売られている食料品や衣類の露店が並んでいるだけだが、夜の遊び場が他にないのか、地元の人で賑わっていた。このような催しが常態化すると、ナイトバザールになっていくのだろう。
ピチット、2015年。

2018年11月2日金曜日

ピチットの市場へ


2015年1月6日、以前から行きたかったピチットの街を訪ねてみた。
バンコクのモチットから5時間弱バスに揺られ、その料金は283バーツだった。
宿は行き当たりばったり、バスターミナルから出てすぐに目についたオカナコーンホテルの部屋を見せてもらうと、350バーツにしてはかなり良かったので、そこに決める。
日本から持参した折りたたみ自転車で早速出掛けてみたのが、例によって市場だ。宿のフロントで大まかな場所を聞くと、鉄道駅に行く途中にあるらしい。自転車で10分も掛からなかったと記憶する。道路は殆ど車もなく、のんびりと自転車で走るのに、何の心配もなかった。
肝心の市場は、実に長閑な、タイの地方都市独特の雰囲気を感じさせてくれた。街の東にナーン川が流れていて、南にはブンシーファイという湖があるためか、淡水魚の加工食品の商品が目立った。
ピチット、2015年。