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2014年5月12日月曜日

ウボンラーチャターニー駅前


ウボンラーチャターニーの駅を出ると、すぐに目に入ったのがこのSLの車両だ。
その後、鉄道駅を利用することも多くなり、主要な駅前には大抵SLが置かれていることに気がつくようになった。
ウボンラーチャターニー、1991年。

2014年4月26日土曜日

ワローロット市場前


チェンマイの市場でも、ずいぶんたくさん写真を撮った憶えがあるが、1980年代のものは見つからなかった。かろうじて出てきたのが、1991年のこの写真だ。8月の、ワローロット市場東側を写したもの。
雨季は、商売も大変だろうと想像がつく。世の中のお金の循環も、さぞ滞ることだろう。
チェンマイ、1991年。

2013年12月8日日曜日

ピン川に架かる吊り橋


1991年、再びタークを訪れてみた。
このときは、友人二人も同行し、賑やかな旅となった。たまには同行者のいる旅も良いもので、食事のメニューなど、とても変化に富んだものを選ぶことができる。
8月、雨季まっただ中、ピン川の水は溢れんばかりだった。
ターク、1991年。

2013年12月7日土曜日

ムーイ川市場宝くじ売りの少女


タイでは、人の集まるところには、必ずと言っていいほど宝くじ売りがいる。
ここムーイ川市場では、幼い少女が宝くじを売っていた。宝くじの横には、自宅の庭に生ったドリアンが置かれている。もちろん、これも売り物だ。
メーソート、1991年。

2013年12月6日金曜日

ムーイ川市場の売り子


ムーイ川市場に入ってみると、ミャンマーから運び込まれた商品を売る店が連なっていた。
売り子は、中国系の顔立ちで、しかも美形の女性が多かった。
メーソート、1991年。

2013年12月5日木曜日

ムーイ川の渡し船


海と川のある土地で育ったせいか、川の流れを眺めるのが好きだ。まして国境の川ともなれば、興味深さも手伝って、時間の経つのを忘れてしまうほどだ。
この国境も、地元の人は比較的自由に行き来できるようで、舟に乗る人はタイ人、ミャンマー人、半々くらいだったろうか。ミャンマー人はロンジーを穿いているので、すぐに区別がついた。
メーソート、1991年。

2013年12月4日水曜日

ムーイ川市場入り口


右手に下りるとムーイ川。川向こうのミャンマーからは、舟でたくさんの荷物が運ばれてくる。
このムーイ川市場には、ミャンマーから入ってきたそれらの物が、商品として並べられていた。おもにタイ人商人たちが、仕入れに買い込んでいるようであった。
メーソート、1991年。

2013年12月3日火曜日

ムーイ川へ


日本にいると、国境を実感することはほとんどない。海の果てを眺めて、彼方に別の国が存在するなどと思うには、相当な想像力が必要になってくる。
ところがタイにいると、端っこに旅をすれば、すぐに国境にぶち当たる。日本では味わえない、非日常の世界を垣間見ることができるのだ。
ターク県とミャンマーは、とても広い地域で接している。メーソートの街外れ、ムーイ川もミャンマーとの国境だ。
立て看板に「水平面198m」と書かれているが、おそらく川幅のことだろう。
メーソート、1991年。

2013年12月2日月曜日

メーソートの国境地帯


外国人がミャンマーに入国できるようになったのは1998年から。もちろんこのときは、まだ国境は開かれていない。
居合わせた警備兵は銃を抱えていたが、なかなか気さくな性格で、写真はもちろん、付近を歩き回ることも自由にさせてくれた。
メーソート、1991年。

2013年12月1日日曜日

国境の街メーソート


メーソートでは、バス停近くのファーストホテル140バーツ(当時約840円)に投宿。
雨期のメーソートは、ひっそりとした静かな街だった。
国境の街というものは、それまでもいくつか見ていて、何処も多かれ少なかれあやしげな雰囲気を感じさせられたものだ。このメーソートも例外でなく、特に ミャンマーからの出稼ぎ女性が目立った。
ふらりと入った食堂の奥には、十数人の若い女性が待機していて驚かされた。また、街の中心にあったダンスホールに入ると、壁際にずらりと女性がたむろしている。好きなジルバのリズムが流れていたので、適当に女性をエスコートすると、全くステップが踏めない。
皆、それが当たり前のようで、ようやく、「ああ、ここはダンスを楽しむ場ではないんだな」と納得したものだ。
メーソート、1991年。

2013年11月30日土曜日

タークからメーソートへ


タークの次に向かったのは、70kmほど離れたメーソートの街だ。
ターク・メーソート間を結ぶ乗り物は、バスと乗り合いワゴン車の二とおり。乗り合いのほうが速かろうと思いそちらを選択、運賃は25バーツ(当時約150円) だった。車内は極限まで人が詰め込まれ、身動きがとれないほど。なんとか窓際の席を確保したのはいいが、走り出してからがまた大変。
道路は舗装されているのだが、曲がりくねった山道。右に左に、上ったり下ったり。しかもスピードは落とさない。ワゴン車は、途中、上りで息切れしているバスを何台 か抜き去っていく。まるでジェットコースターに乗っているような気分だ。
参ったのは周りのタイ人が、こぞって車酔いしてしまうことだ。このあたり細かい描写は避けたほうが良さそうか。
メーソート、1991年。

2013年11月29日金曜日

タークで見かけた水車


1990年タークに行くことにしたのは、たまたまバスの席が空いていて、すぐに出発するからという理由から。何とも無目的な旅立ちだった。
当時の長距離バスは、なかなか時間どおりには到着してくれない。ほとんどは途中でパンクしたり、エンジンが不調になったりということが原因だったのだが、このときは別のトラブルが発生した。
車内後部の配電盤が火を噴いたのだ。爆発音と煙に驚いた乗客は、悲鳴をあげながら前部に殺到。将棋倒しにな り、けが人まで出てしまった。
代車がくるまで待たされ、大幅に遅れてのターク到着となった。
苦労して辿り着いたタークは、ちょうど良い大きさの町だった。ピン川の流れを眺めながらの散歩も楽しく、その居心地の良さに味をしめ、翌1991年も再訪することになる。
ターク、1991年。