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2014年5月10日土曜日

ホーナリカーレストランにて


当時のチェンラーイでは、夜に営業するレストラン(食堂より規模が大きいという意味で)といえば、時計塔の西にあったここ、ホーナリカーという店くらいしかなかっただろう。
店は簡易な囲いに仕切られているだけで、半屋外の、オープンな造りだった。風通しは良く、蚊もたくさん侵入してくる。客がテーブルにつくと、足下には蚊取り線香が置かれ、ロープに吊り下げられた扇風機が回り出す。
テーブルには、氷ったグラスと、シンハ-ビールが置かれている。
チェンラーイ、1985年。

2014年4月25日金曜日

初代メーサーイ写真少女


一時期、メーサーイのボーダー付近で、観光客と一緒に写真に収まる仕事をする少女たちがいた。
当時、メーサーイへも毎年訪れていたが、初めて少女たちを見掛けたのが、この年1985年のことだった。そうしてみると、一時期と言っても、10年ほどは続いていたことになる。もちろんその間、少女たちは、現れては消え、何回も顔ぶれは替わっている。
写真は、おそらく初代の写真少女たちだ。
メーサーイ、1985年。

2013年9月21日土曜日

国境の川の漁


タイ側メーサーイと、ビルマ側タチレクを隔てる国境の川で、漁をしている人たちがいた。
一応漁業権が存在するのか、中央よりタイ側で網を曳いていた。しばらく見ていたが、獲物はたまにしかかからないようだった。
メーサーイ、1985年。

2013年9月20日金曜日

チェンマイ-チェンラーイを結ぶプロペラ機


当時、バンコクからチェンラーイに飛ぶには、チェンマイで乗り継いで行かなければならなかった。
さすがにチェンマイまではジェット機が運航していたが、チェンマイ-チェンラーイ間は小さなプロペラ機。座席は3列で、30人も乗れただろうか。
山肌すれすれに飛ぶため、気流にもまれることもしばしば。30分ほどの飛行はスリル満点だった。
チェンラーイ、1985年。

2013年9月19日木曜日

ビルマへわたる橋


タイ側メーサーイからビルマ側へわたる橋を、地元の人はタイ・ビルマ橋とよんでいた。橋の北側にあるこのアーケードをくぐると、そこはもうビルマ領だった。
ビルマに初めて立ち入ったのは1983年2月のことだ。当時、まだ国境は開かれてなく、もちろん公式に入国した訳ではない。
外国人は、川にかかる橋の上までは行くことができた。橋では、ビルマ人の物売りが、古切手とか日本軍の軍票を見せてくる。ヒョウの皮が700バーツ(約7700円)で売られている。しばらく見ていると、600バーツにまけると言われた。
男も女もロンジーという腰巻をつけ、 女は頬にタナカという黄色い粉をつけている。ビルマ側の様子を窺っているうち、どうしても橋の向こう側、ビルマに入ってみたいという気持ちを抑えられな くなってきた。駄目でもともと、
「日本からの旅行者です。ちょっとこの辺りを見たいのですが」
「OKだ。カメラだけ置いていくように」
道路はまだ舗装されていなかったと記憶している。橋から100メートルほど歩くとT字路に突き当たった。そのまま右に行ってみると、喫茶店のような店でビルマ人がお茶を飲んでいる。雑貨屋のような店もある。売っているものは、タイとほとんど同じようだ。 あまり深入りするのも気が引けたので、すぐに引き上げることにした。
当時の記録を見ても、ビルマへ入った、としか書かれていない。車が右側通行だったことも、ほとんど車が走っていないこともあり、タイへ戻ってから気が付いたほどだった。
消化不良のような結果だったので、次にメーサーイを訪れたとき再チャレンジ。今度はもっと奥まで入り込んでやろうと気負って行ったのだが、橋のたもとであっさり立ち入り拒否されてしまった。
メーサーイ、1985年。

2013年9月18日水曜日

市場の魚売り


市場の魚売りは、生きた魚をその場でさばいていく。いかにも新鮮だし、手の空いているときに作業をすることで、時間的にも効率が良い。
日本でも昔、自転車で来る魚屋さんが、客の前で魚をさばいて売っていたことを想い出した。
チェンラーイ、1985年。

2013年9月16日月曜日

チェンラーイの道端で


チェンラーイの街では、いろいろな人と、いとも簡単に交流することができた。
例えば散歩中に、道端に茣蓙を敷いて食事中のグループに出会うとする。目が合うと、
「飯は済んだか?」
「一緒に食べないか?」
といった展開になる。
何処かの家の前で結婚式が行われていた。前を通りかかっただけなのに、中に招き入れられ、パーティーに参加する羽目になったこともある。
チェンラーイ、1985年。

2013年9月15日日曜日

北タイスープ麺ナムギアオ


北タイ名物ナムギアオを知ったのは、チェンラーイ中央市場内の「パーヌアン」という店でのことだ。このスープ麺を初めて食べたときは、ショックを受けた。血で出汁を取ったというスープは独特のこくがあり、そのくせ血の臭みは全く感じられない。臭い消しにギウという花を使っているからだ。
乾季のチェンラーイの朝は冷え込む。そんな寒い朝にナムギアオを食べると、身体が温まって、一日のエネルギーが湧き出てくる気さえしたほどだ。
チェンラーイ、1985年。

2013年9月14日土曜日

メーサーイの街


メーサーイは、街道沿いだけが賑やかな、小さな街だった。
それでも、ここではいろいろな発見があった。ミカン、イチゴ、リンゴ、ウメなど、日本でも馴染みの果物が直売されている。漢字で書かれたお菓子の箱や、海苔、キノコ類なども店頭に積み上げられている。
人の服装も様々だった。山岳民族の衣装や、ビルマ風の服を着た人も、ごく当たり前に見ることができる。
食堂で隣りのテーブルにいた中年の夫婦者に、家に遊びに来ないかと誘われた。直ぐ近くというのでついて行くと、国境を川沿いに東に進んで行く。行った先には、たくさんの若い女性がたむろしていた。この夫婦は、置屋の経営者だったのだ。
チェンラーイ、1985年。

2013年9月13日金曜日

国境の橋の下で


メーサーイからタチレクへ渡る橋の下では、子どもたちが水遊びに興じていた。川の中央が国境とするなら、彼らは自由に両国を行き来しているようにも見える。
日本に住んでいると、国の境というものは厳然とした印象があるが、随分緩いものだと思った。
もともと、子どもたちにとっては、国境などあまり関係ないのかもしれない。
メーサーイ、1985年。

2013年9月12日木曜日

ステーションホテルから駅前広場を望む


当時の駅近くでのもう一つの定宿は、ステーションホテルという旅社だ。駅をはさむように、スリクルンホテルとは、ほぼ対称の位置関係にある。
西側からは、ちょうど駅前広場を見渡すことができる。 ここには夜になると、天秤棒を担いだソムタム売りが集まってきた。
バンコク、1985年。