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その時はやけに高いなあと感じた。ボラれた、と言うやつだ。
後に縁あって親しくしていただき、当時のことを話すと、
「それは、旅行者価格よ、アッハッハ」
と笑い飛ばされてしまった。
この写真を撮らせていただいた数年後に他界されている。
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当時僕が滞在していた定宿に、やはり常連客の日本人がいた。彼もタイが好きで、毎年数ヶ月を北タイで過ごしていた。
タイ語は殆どできなかったが、いつも笑顔でいるので、現地の人からは「ケンちゃん」と呼ばれて慕われていた。タイ人は、いつも機嫌良く振る舞う人を好む。
ケンちゃんと僕がよく通う食堂では、ヌンちゃんという若い女性が働いていた。彼女は離婚歴があり、まだ幼い二人の子持ちでもあった。
二人の様子から、ともに好意を抱いているのは良く伝わってきた。
ある日、ヌンちゃんから恋の橋渡しを頼まれることになった。作戦はこうだ。僕がケンちゃんを誘ってナイトバザールに遊びに行く。ヌンちゃんも偶然(ここが大事)そこに居合わせる。3人で食事をした後、僕がさりげなく席を外す。
そして当日、事は順調に進んだ。
翌日、早速ヌンちゃんから報告を受けた。こんなやり取りがあったと言う。
「ケンちゃんは、ヌンの息子のことを愛するか?」
「うん、愛する」
「ケンちゃんは、ヌンの娘のことを愛するか?」
「うん、愛する」
「ケンちゃんは・・・(ちょっと間を置いて)ヌンのことを愛するか?」
「うん・・・愛する」
二人は見つめ合いながら、しっかりと手を握り合ったそうだ。ちなみに、二人の年の差は、二まわり以上だった筈だ。
恋の橋渡し役を務めた僕は、特にヌンちゃんに感謝された。
その数ヶ月後、ケンちゃんとヌンちゃんは、タイ式の結婚式を挙げて、隣の県に引っ越していった。
1983年のことだった。
昼食を食べるために、小さな食堂に入った。間口4mの、地元民のための、本当に小さな食堂だ。
席に着くと、店を手伝っているらしい欧米人の若者が水を出してくれた。
僕のような客が珍しかったようで、
「何方から?」
「日本だよ」
「旅行かな?」
「そう。君は?」
「イギリスから旅に出たんだ。インドに行って、タイに来た。タイが気に入って、チェンマイまで来たんだけど」
「チェンマイは良い町だよね」
先の話を促すと、
「パスポートを…捨ててしまったんだ」
旅人にとっては、パスポートは最貴重品だ。
「ビザが切れる頃だった」
「何故?」
聞いてしまってから、あまり立ち入ったことは失礼か、と思ったがすでに遅かった。
彼は答えずに、厨房の方に目をやった。そこには、笑みを浮かべた、小柄なタイ人の娘さんがいる。
「僕は学生だったんだよ」
ちょっと俯いて、話を続けてくれた。
「親には手紙を書いた」
手紙の内容は、簡単に想像できる。
「返事は?」
彼は俯いたまま、首を振った。
もう一度娘さんに視線を向けて、こちらに向き直ると、
「この国で生きていくことにしたんだよ、彼女と」
驚き、感心、おせっかいな心配などの気持ちが渦巻いて、その時に注文したスープ麺の味は、全く覚えていない。
「Good luck」
彼女にも、
「チョーク・ディー」
挨拶して店を出るとき、二人揃って、笑顔で見送ってくれた。
翌年、同じ場所を訪ねると、店はシャッターが閉められていた。営業している様子はない。
隣の店に聞くと、ちょっと前に閉店して出て行ったと言う。
その時の様子を聞いても、
「いつの間にか居なくなってたからねえ」
きっと商売が上手くいって、もっと大きな店に引っ越したのだろう、と思うことにした。
生活用品は、殆ど宿に預かってもらっていた。この写真に写っている物ほぼ全てと、外に置いてある自転車だ。
ラジカセでは、日本の短波放送を聴いたり、カセットテープでお気に入りの音楽を流したり。もちろん現地のFM放送も受信できる。その隣にあるのは、PAL方式の小型テレビだ。タイのテレビを視聴するために、秋葉原の免税店で買い込んできたものだ(ちなみにパスポートを提示したら一時帰国中と認められ、免税価格で買うことができた)。これでタイ語のヒアリング能力を高めようと思ったが、効果はあまり感じられなかった。そんなに甘いものではない。
左の木箱には貴重品が入っている。その隣が食材置き場。水を張ったボトルに足を入れてあるのは、アリの侵入を防ぐためだ。この部屋では、蚊とアリとの戦いだったなあ。
三段の棚には、着替えと本の類いが収納されている。
2001年まで、この部屋で毎年数ヶ月を過ごしたが、時間の過ぎ方はいつも不思議に感じられた。1日1日は、とてもゆっくりと感じられる。ところが、あっという間に一週間が経ち、1ヶ月が過ぎ、気が付くと帰国の日が迫っているのだ。1日の長さと1ヶ月の短さ。
短期で、あるいは長期で、利用した宿は数あれど、この部屋での生活が最高のものであったことは間違いない。
2001年、チェンラーイ。
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1990年頃だったろうか、バンコクからチェンマイに向かう機中、隣席の欧米人と少し話をした。彼もタイのリピーターで、話題は食べ物のことに。
「食事は美味しいんだけど、下痢することが多くてね。君はどう?」
と聞かれたので、
「私はほとんどないですよ。全くということはないけど、日本にいる時と同じくらいかな」
「一週間にどれくらい?」更に追求された。
「一種間くらいなら全然ないですね」
「それは素晴らしい!」信じられない、という表情で僕を見てくる。ちょっと誇らしく感じて、無意識のうちに、少し胸を張っていたかもしれない。
その時は二週間ほどの滞在だったろうか。旅の最後に贅沢をしようと、チェンマイの食堂でトムヤムクンを食べた。北タイでは、普通は川エビを使うのが、その店のトムヤムには海エビが入っていた。ちょっと臭い。古いエビかもしれないと思いながらも、気にせずに食べてしまった。
その晩から、来た! もうトイレとベッドの往復だ。それでも移動しなければいけない。ゆるい腹を抱えて、バンコクへ移動、駅前のステーションホテルに転がり込んだ。
チェックイン時、馴染みのフロントが、
「どうした?」
「下痢がひどくて」
「熱いお茶を飲みな。水分を取らないとダメだよ」
部屋に入ると、すぐにポットに入った烏龍茶が届いた。持って来てくれたのは、客に”色々なサービス”をしてくれる若い女性だ。当時、バンコクの旅社には、その手の女性が住み着いている事が多かった。
ポットのお茶を飲んで休んでいると、少しずつ腹が落ち着いてきた。食欲も出て来て、腸がグルグルと活動を始めたのが感じられる。そして、放屁したくなってきた。ガスを出せば、更に気分が良くなりそうだ。ちょっとお腹に力を入れて、プッと出すつもりが・・・「ピュッ」情けないことに、”実”が出てしまった。
幸いシーツを汚すことはなかったけれど、パンツを一枚捨てる羽目に。
シャワーを浴びながら思い出したのは、飛行機で隣に座った欧米人のことだ。ちょっとばかしのことで、誇らしく感じた罰だろうか。
メーコックビラには、僕の他に、Wさんという日本人が泊まっていた。彼は飄々とした好人物で、滞在時期が重なると、よく行動を共にする仲だった。そのWさんが、或る日、
「チェンライパッポンで水浴びショーをやってますよ」
チェンライパッポンとは、時計塔近くの脇道にあるバー街のことだ。山からの出稼ぎの娘が多く、もちろん本場のバンコクパッポンほどの派手さはない。
「水浴びって言っても、どうせ水着でも着てるんでしょう?」
「いやいや…」
「まさか、スッポンポンですか?!」
Wさんは答えずに、ニヤニヤ笑っている。
それでは、ということで、その晩にいざ出陣と相成った。スッポンポンよ、待っていろ。
ショータイムに合わせて、目的の店に突入する。
店内には、10人ほどのホステスがいる。何れも10代後半だろうか。そして、確かに、店の奥にはガラス張りシャワー室が用意されている。僕たちの席は、このシャワー室の近く、かぶり付きの特等席だ。もうすぐ、この妙齢さんたちのスッポンポンが見れるぞ。
ところが、ところが、一向にその気配が感じられない。
「Wさん、まだですかね?」
彼は「う〜ん」と唸って、腕組みをしたままだ。
たまらずに、店を仕切っているお姉さんに聞いてみた。
「水浴びショーは何時から?」
「今日はないのよ。寒いからね」
あっさりと言われてしまった。
後日談。
改めて出掛けた日、確かに水浴びショーはやられていた。他に、火の付いたロウソクから垂れるロウを身体で受け止めるロウソクショーなどというものも、見物することができた。
そして現在は、チェンライパッポンと呼ばれたこの地域は大きく様変わり。もちろん、全くその手の店はなくなってしまった。