ラベル 1988年 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 1988年 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年10月30日水曜日

国境の川も子どもたちの遊び場


タイビルマ橋の上より。
国境の川といえど、子どもたちにとっては、格好の水遊びの場所に過ぎない。この頃から、ビルマ側にも、建造物が目立つようになってきた。
軍事政権により、ミャンマーという国名に変わるのは、この翌年6月のことだ。
メーサーイ、1988年。

2013年10月29日火曜日

写真少女にあやかって


メーサーイの写真少女の人気にあやかろうと、一時期、アカ族の民族衣装を着た子どもたちが、国境付近に現れたことがある。観光客と一緒に写って、一人5バーツという商売だったが、あまり売り上げの方は芳しくないようだった。
本家写真少女たちの衣装は、近所の土産物屋が用意した華美なものだが、それに比べてアカ族の生の衣装は、どうしても派手さでは敵わない。
メーサーイ、1988年。

2013年10月28日月曜日

ラマⅣ通りにあったソンブーンレストラン


その昔、ソンブーンレストランは、ラマ4世通りからすこし北に入った所にあった。
飲み屋の女の子に連れて行ってもらい、店名どおり十分満足のいく食事に驚き、その後も一人で通うようになっていた。
初めて一人で行ったとき、焼きガニを注文したら、大きな器にライムを浮かべた水が目の前に置かれた。飲み水と思い口に持って行くと、慌てて店員が駆け付けて来た。その水は手洗い用だったのだ。
また別の日、エビを注文しようと頼むと、厨房に連れて行かれ、大きさごとの値段を細かく説明してくれた。
数年前、友人と新店舗で食事をしたが、あまりにもそつのないサービスに、昔のことが逆に懐かしく想い出された。
バンコク、1988年。

2013年10月27日日曜日

チェンラーイの時計塔1988年


1990年近くになると、経済成長とともにチェンラーイにも車が増えてきた。車のスピードも、以前よりだいぶ速くなっている。
初めてきた頃は、動いていないことが多かった時計塔の針も、ほぼ正確に時を刻むようになっていた。
停電で街が真っ暗になることもほとんどなくなり、チェンラーイも立派な地方都市として発展しつつあった。
チェンラーイ、1988年。

2013年10月26日土曜日

スーパーハイウエイ拡幅工事


チェンラーイからメーサーイまでの道路は、ずっと片側一車線だった。スーパーハイウエイという名にしては、何とも貧弱なものだ。
その拡幅工事が行われたのが1988年。背景には、観光開発、麻薬撲滅を目指す農業振興、ちょうどバブル景気というタイミングもあったろう。
メーサーイ、1988年。

2013年10月25日金曜日

メーコックを逃れて


この前年あたりから日本人客で混雑するようになったメーコックビラを逃れて、市内のゲストハウスを転々とした時期があった。
例えばここ、スーパーハイウエイを東に渡ったところにあるマリーナビラ。建物も洒落ていて、室内もちょうど良い広さだったが、何故か馴染めない。なるほど、寝るだけならこれで十分かもしれないが、ただそれだけで楽しいはずもない。
いくつかのゲストハウスを渡り歩いた結果、一人旅とはいえ、やはり人との触れ合いが大事なのだと、あらためて実感することとなった。
親しみやすい宿の人、入れ替わり現れて去っていく旅人たち。メーコックビラには、そんな人たちとの触れ合いがあったのだ。
写真左には、当時使っていた愛車が写り込んでいる。
チェンラーイ、1988年。

2013年10月24日木曜日

メーコックビラの茶飲み場


この踊り場が、メーコックビラの談話室代わりになっていた。
常連客には、個性的な面々が揃っていた。1960年代のタイを知る旅の大ベテランOさん、70cc のカブでタイの国道全線走破を目指すTさん、タイ語が堪能で話し好きのYさん、“世界美少女図鑑”という本の著者三輪隆さん(現さくらプロジェクト・タ イ代表)等など。
何れもこのテーブルで語り合った人たちだ。
チェンラーイ、1988年。

2013年10月23日水曜日

メーコックビラ大盛況


隠れ宿のようだったメーコックビラが、日本人に人気の宿として大ブレイクしたのは、1987年に出版された“地球の歩き方・タイ”に紹介されてからのことだ。
ちょうどその頃、ゲストハウスのすぐ前の大市場に夕方から市がたつようになったのと、やはり目の前にスーパーマーケット(サハタウィーキットという名称)が開店して、生活の便が良くなったのも、人気宿になる大きな要因だったろう。
その居心地の良さと利便性のお陰で長期滞在者が多く、この後1990年頃には満室の状態が続くほどの盛況となる。
チェンラーイ、1988年。

2013年10月20日日曜日

バンコクに渋滞広まる


1980年代後半、タイも経済成長の道を突き進んでいく。
ちょうどこの頃から、バンコク市内いたる所で、大渋滞が見受けられるようになった。その時間帯の交通量によって、車線の数を柔軟に変更しているのだが、写真のとおり、その効果はほとんどない。
バンコク、1988年。