2013年12月8日日曜日
ピン川に架かる吊り橋
1991年、再びタークを訪れてみた。
このときは、友人二人も同行し、賑やかな旅となった。たまには同行者のいる旅も良いもので、食事のメニューなど、とても変化に富んだものを選ぶことができる。
8月、雨季まっただ中、ピン川の水は溢れんばかりだった。
ターク、1991年。
2013年12月7日土曜日
ムーイ川市場宝くじ売りの少女
タイでは、人の集まるところには、必ずと言っていいほど宝くじ売りがいる。
ここムーイ川市場では、幼い少女が宝くじを売っていた。宝くじの横には、自宅の庭に生ったドリアンが置かれている。もちろん、これも売り物だ。
メーソート、1991年。
2013年12月6日金曜日
2013年12月5日木曜日
2013年12月4日水曜日
2013年12月3日火曜日
2013年12月2日月曜日
メーソートの国境地帯
外国人がミャンマーに入国できるようになったのは1998年から。もちろんこのときは、まだ国境は開かれていない。
居合わせた警備兵は銃を抱えていたが、なかなか気さくな性格で、写真はもちろん、付近を歩き回ることも自由にさせてくれた。
メーソート、1991年。
2013年12月1日日曜日
国境の街メーソート
メーソートでは、バス停近くのファーストホテル140バーツ(当時約840円)に投宿。
雨期のメーソートは、ひっそりとした静かな街だった。
国境の街というものは、それまでもいくつか見ていて、何処も多かれ少なかれあやしげな雰囲気を感じさせられたものだ。このメーソートも例外でなく、特に ミャンマーからの出稼ぎ女性が目立った。
ふらりと入った食堂の奥には、十数人の若い女性が待機していて驚かされた。また、街の中心にあったダンスホールに入ると、壁際にずらりと女性がたむろしている。好きなジルバのリズムが流れていたので、適当に女性をエスコートすると、全くステップが踏めない。
皆、それが当たり前のようで、ようやく、「ああ、ここはダンスを楽しむ場ではないんだな」と納得したものだ。
メーソート、1991年。
2013年11月30日土曜日
タークからメーソートへ
タークの次に向かったのは、70kmほど離れたメーソートの街だ。
ターク・メーソート間を結ぶ乗り物は、バスと乗り合いワゴン車の二とおり。乗り合いのほうが速かろうと思いそちらを選択、運賃は25バーツ(当時約150円) だった。車内は極限まで人が詰め込まれ、身動きがとれないほど。なんとか窓際の席を確保したのはいいが、走り出してからがまた大変。
道路は舗装されているのだが、曲がりくねった山道。右に左に、上ったり下ったり。しかもスピードは落とさない。ワゴン車は、途中、上りで息切れしているバスを何台 か抜き去っていく。まるでジェットコースターに乗っているような気分だ。
参ったのは周りのタイ人が、こぞって車酔いしてしまうことだ。このあたり細かい描写は避けたほうが良さそうか。
メーソート、1991年。
2013年11月29日金曜日
タークで見かけた水車
1990年タークに行くことにしたのは、たまたまバスの席が空いていて、すぐに出発するからという理由から。何とも無目的な旅立ちだった。
当時の長距離バスは、なかなか時間どおりには到着してくれない。ほとんどは途中でパンクしたり、エンジンが不調になったりということが原因だったのだが、このときは別のトラブルが発生した。
車内後部の配電盤が火を噴いたのだ。爆発音と煙に驚いた乗客は、悲鳴をあげながら前部に殺到。将棋倒しにな り、けが人まで出てしまった。
代車がくるまで待たされ、大幅に遅れてのターク到着となった。
苦労して辿り着いたタークは、ちょうど良い大きさの町だった。ピン川の流れを眺めながらの散歩も楽しく、その居心地の良さに味をしめ、翌1991年も再訪することになる。
ターク、1991年。
2013年11月28日木曜日
ピン川の畔タークにて
1990年、友人と別れた後にタークへ行ってみた。
タークは、ピン川の東側にへばりつくようにできた小さな町で、居心地の良さを感じた。どうも、川の流れや海岸など、水を眺めていると落ち着ける傾向があり、タークもそれにぴたりと当てはまってしまったようだ。
タークでの宿は川沿いのタークホテル。市場にも近くて便利だった。150バーツ(当時約900円)の部屋は窓なし。そのかわり、階上からはピン川が一望できた。部屋は寝るためのものと割り切り、もっぱら外で過ごすようにした。
ターク、1990年。
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