2018年6月30日土曜日

ピッサヌロークの早朝


ピッサヌロークでは、一泊250バーツのリバービューホテルに泊まった。この小じんまりとしたホテルは、値段の割に快適に過ごせる宿だった。
早朝、日の出とともに散歩に出掛けると、かなり立派なお寺に出くわした。ちょうど僧侶が托鉢に出るところだった。
あいにく、お寺の名前のメモは紛失してしまっている。
ピッサヌローク、2012年。

2018年6月29日金曜日

モチ工場を見る


モチはナコーンサワンの特産品なので、試食してみようと、大きく目立つモチ屋に入ってみた。
お茶を飲みながら、いくつかのモチを食べていると、店主が挨拶に出てきた。
「日本のモチとはちょっと違うでしょう。今は正月用のモチを作っています。良かったら工場を見てみませんか?」
裏に案内されると、たくさんの従業員が手作業でモチ作りをしている。なるほど、どれも中華正月の供え物に使われるものだ。
工場というよりも、広い厨房のような感じだった。
ナコーンサワン、2012年。

2018年6月28日木曜日

ナコーンサワン春節の頃



アユタヤからピッサヌロークに向かう途中、ナコーンサワンに立ち寄ってみた。
ここも中華系の人が多いのだろう、ちょうど春節の頃とあって、街全体が派手な色に彩られている。そして、道路もこの通り。陸橋の上から見たらどんな眺めかと、わざわざ上って撮った写真がこれだ。
ナコーンサワン、2012年。

2018年6月27日水曜日

29年ぶりの山田長政神社鳥居


以前見た鳥居とは、はっきり形が違っている。何だか簡易式鳥居のようにも見えてしまう。
もしかするとこの鳥居は、一時的な仮のものだったのかもしれない。
柱には色が違っている部分があるが、これはこの前年(2011年)に起きた大洪水で浸水した跡だ。大人の膝の高さは、ゆうに超えている。
アユタヤ、2012年。

2018年6月26日火曜日

29年ぶりにアユタヤ日本人町跡へ


バンコクからタイ北部へ向かう途中、アユタヤに立ち寄ってみた。前にこの地を訪れたのは1983年のことだから、もう29年ぶりの再訪ということになる。
1983年には、鉄道駅から渡し船で街中へ行ったのだが、ほぼ正方形に近いこじんまりとした街並みが印象的だった。そんなことを思い出そうとしても、今回はレンタカーなので、もうどこを走っているやら見当もつかない状態。いつの間にやら、日本人町跡地に着いていた。
1983年に、一泊80バーツで泊まったウトンホテルは、まだ経営しているのだろうか。
アユタヤ、2012年。

2018年6月25日月曜日

ソイテキサスの露店食堂


フアヒン方面から北部タイへ向かう途中、バンコクで一泊することになった。宿は中華街にあるエンパイアホテル。その昔、中央駅周辺で、「ちょっと贅沢をしたい」ときに利用したホテルだ。
このホテルは、夕方になるとほぼ真ん前にシーフード露店が並ぶという、実に食を楽しむに都合の良い地域にある。
この夜も、ソイテキサスにある店で、海老、蟹、魚など、たらふく食べることができた。タイ人2人、日本人4人のメンバーだったが、明らかに日本人だけのときより格安だった。
バンコク、2012年。

2018年6月24日日曜日

卵の番犬


お菓子の街ペッチャブリーでは、家鴨の卵が大量に消費されると聞いていた。
街角で卵を積んだ車を見掛けたので、「さては家鴨の卵か!」と近付いてみたが、あいにく鶏卵だった。
黒犬と白犬が、狛犬のように番犬を務めていた。
ペッチャブリー、2012年。

2018年6月23日土曜日

ドンホイロート漁村に立ち入る



ドンホイロートの市場街を離れて、漁民の住む地域に立ち入ってみた。
通路として使われている板は、かなり広範囲に渡っていて、これだけで別に不便は感じないようだ。
あまり近代的とは言えないこのような地域に一介の旅行者が立ち入ることに少々抵抗を覚えたが、住んでいる人たちは明るくて親しみやすく、とても友好的に接してくれた。
ドンホイロート、2012年。

2018年6月22日金曜日

カブトガニを食すも



ドンホイロート海岸には、簡易露店食堂もたくさん出ていた。食べ歩きが大好きなタイ人家族が同行していたので、僕もいろいろと試してみて、確かに新鮮な海産物は美味しいと感じたのだが…
珍しいから食べてみろと勧められたカブトガニは、全く期待外れだった。どうやら卵の部分を食べるようなのだが、ザラザラした食感だけで味も素っ気もなかった。ただ食べてみたというだけで、味覚の記憶などは全く蘇ってこない。
これだけたくさんの卵を生むのだから、成体になるまでに多くの天敵に食べられてしまうのだろうな、などと感心したことは覚えている。
ドンホイロート、2012年。


2018年6月21日木曜日

ドンホイロートの市場


潮干狩りもできる海岸があると聞き、立ち寄ってみたのがドンホイロートという場所だ。
ホイロートとはストロー貝のことで、この海の特産品らしい。つまり、この地名は「ストロー貝のある所」という意味になるのだろう。
当日はあいにく満潮の時間帯で、潮干狩りの様子は見ることができなかった。
海岸線に並ぶ露店では、海産物がたくさん売られている。どれも格安のようで、立ち寄ったタイ人観光客はまとめ買いをしていたりして、実に活気がある。
ドンホイロート、2012年。

2018年6月20日水曜日

山岳民族タイヤー族


タイヤー族という人たちは、この年のメンライ王祭りで初めて知った。
衣装の飾りは独特で、何と言ってもこの被り物だ。菅笠を皿状になるように被っている。真ん中が少し出張っているのは、頭に載せたときに座りが良いのだろう。
何のための被り物か? その答えは予想通り、物を載せて運ぶためだ。
チェンラーイ、2018年。

2018年6月19日火曜日

メークロン鉄道駅


メークロンの線路市場を見物して、メークロン鉄道駅に入ってみた。
機会があれば、今度は列車に乗って市場を見てみたいものだ。バンコクからの距離も近いし、日帰りで十分だろう。ところが、どうも調べてみると、その計画はかなり面倒くさいことが分かった。
途中に川があって、線路がそこで中断している。つまり川を渡るために、ボートに乗り換えないといけないらしい。つまり、鉄道→船→鉄道という経路になってしまうのだ。
メークロン市場自体、最近は観光コースになっていて、いつも見物客で混雑するらしい。あまり魅力もないので、二度と訪れることはないだろう。
メークロン、2012年。

2018年6月18日月曜日

メークロンの線路市場


線路上にある市場として有名な、メークロン市場に立ち寄ってみた。
市場を列車が通るのは、一日8回ほどのようだが、訪れたときにはちょうど列車がくるときだった。
車両にぶつかりそうな物は、売り子たちが手慣れた調子で片付けていく。ところが、写真のように片付けられない商品もある。果たして本当に当たらないのかと見ていると、確かに紙一重のところで無事に通過して行く。
感心して見とれていたら、自分自身が列車に轢かれそうになってしまった。クワバラクワバラ。
メークロン、2012年。

2018年6月17日日曜日

市場もお菓子屋が多かった


ペッチャブリーの街には、やたらとお菓子屋が目立った。まるでお菓子の街だな、との印象をもって市場に入っていくと、案の定その中にもお菓子屋が多かった。
他の街でも市場にはお菓子屋が出ているが、ペッチャブリーの市場のお菓子屋はまるでその品揃えの規模が違う。ずらりと並んだお菓子缶には、クッキー類がごっそり詰め込まれている。袋に分けられてなどないから、どれも量り売りだ。
改めて思い返すと、ペッチャブリーの人は、太り気味の人が多かったような気もしている。
ペッチャブリー、2012年。

2018年6月16日土曜日

ペッチャブリーにも猿がいた


ペッチャブリーの屋台で、ココナッツお菓子を食べていたら、猿が現れて近付いてきた。
「こんな街なかにいるのかよ」と驚いたが、店の人は当たり前のような顔で客の飲み残しを路上にこぼした。当の猿も当たり前のような表情で、それを啜って満足げだ。
フアヒンの猿のような、厚かましい態度は見せない。人からおこぼれを頂戴する礼儀を心得た、なかなか紳士的な猿だった。
ペッチャブリー、2012年。

2018年6月14日木曜日

ペッチャブリーにはお菓子屋が多い


ココナッツの産地であるペッチャブリーには、椰子油、椰子糖、ココナッツミルクも豊富にあるのだろう。それを原材料にしたお菓子類も、特産品としてたくさん売られている。
鮮やかな黄色のお菓子も目に付くが、それは家鴨卵の黄身が使われているそうだ。
いくつか試してみたけれど、どのお菓子も自然な風味が感じられて美味しく感じられた。おっと、僕は特に甘党というわけではない、念の為。
ペッチャブリー、2012年。

2018年6月12日火曜日

ペッチャブリーの街


ココナッツの産地として有名なペッチャブリー県は、郊外にはココナッツ農園がとても多く目立った。
それでも街中に入れば、落ち着いた普通の地方都市にみえる。
ココナッツ関連で他県からの人もたくさん訪れるはずで、彼らが泊まる安い宿もたくさんありそうだ。そのうちゆっくり滞在してみたいものと思いながら、もう随分年月が経ってしまっている。
ペッチャブリー、2012年。

2018年6月11日月曜日

ワット・プラノーン


涅槃仏はいろいろなお寺で見てきたが、このペッチャブリーの涅槃仏はかなり大きかった。
涅槃仏は、釈迦が入滅する様子を表したものとされるが、目を閉じているものと開いているものがある。こちらは眼を開いているので、入滅する前、最後の説法をしているところだろうか。
ペッチャブリー、2012年。

2018年6月9日土曜日

プクティアンビーチ


フアヒンからバンコクに戻る途中、プクティアンビーチという海岸に立ち寄ってみた。
この海岸には、大きな女と小さな男の像が建てられている。女の像は、男に手を差し伸べているが、よく見ると牙を剥き出しにしている。一方、男の方は、像自体が小さすぎて表情は窺えないし、いかにも存在自体が薄すぎるように見えてしまう。
両者の関係をその場に居合わせた人に聞いてみると、女が離れてしまった男を取り返そうとしているのだ、とのことだ。
こんな大女に牙を剥かれたら、とてもじゃないがこの女のもとには帰る気がしないだろう。小さくなって、ひっそりと耐えているかのような男に、同情せざるを得ない。
ペッチャブリー、2012年。

2018年6月8日金曜日

チャオサムランビーチ


フアヒンビーチを後にしてバンコクに向かう途中、綺麗な海岸があると聞き、立ち寄ってみたのがチャオサムランビーチだ。
チャオサムランとは、大いなる幸せという意味になるらしい。
遊歩道や休憩所も整備されていて、のんびり散策するには絶好の海岸だろう。
ペッチャブリー、2012年。

2018年6月7日木曜日

フアヒン港の海鮮料理



フアヒン港は、カオタキアップのすぐ下にある。ここには屋根だけの簡易食堂があり、いかにも安く海鮮料理が食べられそうなので、試してみることにした。
生簀から上げたばかりの魚介類が調理され、とにかく新鮮で美味しい。フアヒンでの海鮮料理は、街中の食堂、夜市の屋台など、数箇所で食べてみたが、ここがダントツで美味しく、また格安であった。
生牡蠣にマナオを絞って…う〜む、堪らないね。
フアヒン、2012年。

2018年6月6日水曜日

夕方のフアヒン海岸



夕暮れ時のフアヒンビーチ。
タイでは、この時間帯は蚊に悩まされるのだが、海岸には蚊がいないことに気がついた。
さてこの後は、海鮮料理が待っている。港の近くにある簡易食堂では、魚や海老、牡蠣など、新鮮な料理が格安で食べることができる。
フアヒン、2012年。

2018年6月5日火曜日

カオタキアップの猿


カオタキアップには、猿がたくさんいる。その数に比べて食料が足りないのか、食べ物に対しての執着ぶりは凄まじかった。
自動車のドアを開けた瞬間を狙って、お菓子の袋を奪い取られてしまった。
フアヒンに来る途中、お菓子の街ペッチャブリーで買ってきたココナッツクッキーは、あわれこの猿親子の胃袋に。
もう呆れて、笑うしかない出来事だった。
フアヒン、2012年。

2018年6月2日土曜日

「ワット・カオタキアップ」への階段


フアヒン市内から、海岸沿いに南へ14kmほど行くと小さな漁港がある。その近くにあるのが「ワット・カオタキアップ」というお寺だ。
頂上からは市内やタイ湾が一望できるそうだが、長めが良いということは、それだけ高い所にあるということ。この階段が大変だった。段数も数えてみたのだけれど、メモを紛失して、何段あったのかは覚えていない。
フアヒン、2012年。

2018年6月1日金曜日

フアヒンの駅舎


タイで最も美しいと称されるフアヒンの駅舎。
美しさの感覚は人それぞれ。ちょっとピカピカ過ぎて、中華街にあれば似合うような感じを受けた。
フアヒン、2012年。