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2013年9月11日水曜日

かまぼこ型の駅舎


3回目の訪タイでは、ここバンコク中央駅からチェンマイへ旅立った。そして4回目の訪タイでは、ノーンカーイへの列車に乗ることになった。
タイへ通い始めた当初は、列車でいったん遠くまで行き、帰途のバンコクまでは、バスであちこち寄り道しながら戻るというパターンが多かった。
タイ国内の旅は、このかまぼこ型の駅舎から始まるのだった。
バンコク、1984年。

2013年9月10日火曜日

スリクルンホテルより中華街を望む


バンコクでの宿は、鉄道での移動の便が良い中央駅周辺にとることが多かった。
定宿の一つ、スリクルンホテルは、西側の部屋の方が外からの騒音が入りにくい。窓からは西に広がる中華街を望むことができる。まだ高層建築はほとんどない。
バンコク、1984年。

2013年9月9日月曜日

チェンラーイの市場にて


チェンラーイには大小たくさんの市場があるが、最初に馴染みになったのは、市内中央にあるチェンラーイ生鮮第一公設市場だ。市場へは四方八方から入ることができたが、大抵は宿から近いこの南西の入り口を利用した。
市場の中では、実に様々な物が売られていた。ありがたいことに食堂街もあり、どこも格安で美味しかった。市場に通うことによって、食のバリエーションは一気に増えることになった。
チェンラーイ、1984年。

2013年9月8日日曜日

自宅に招待される


親しくなったサムローが自宅に招待してくれた。家族は、奥さんと男の子が一人。
室内はシンプルで、テレビとラジカセ、不釣り合いに大きな冷蔵庫が置かれていた。板壁には、プミポン国王の写真が何枚か貼られていた。
「カシオの時計は、日本でいくらするか?」
「300バーツ位かな」
奥さん用に、カシオの腕時計を買ってくることを約束した。
チェンラーイ、1984年。

2013年9月7日土曜日

気の良いサムロー


2度目のチェンラーイでは、地元の人との繋がりが深まった。友人とは言えないまでも、知り合いが何人かできたのだ。前回訪れたとき、街中を10バーツ(当時約110円)で一回りしてくれたサムローもその一人だ。
彼は後に、「まさか(チェンラーイに)また現れるとは思ってもみなかった」と話してくれた。
チェンラーイ、1984年。

2013年9月6日金曜日

タイ・エアウェイズのオフィスにて


チェンラーイからバンコクへは、前回バスを使ったので、このときは飛行機にしてみた。
予約に訪れたタイ・エアウェイズ(現タイ航空)のオフィスには、市内地図や簡単なガイドパンフレットが置かれていた。スタッフも皆とても親切で、この後昼食に誘ってくれたりした。
その席であれこれと街情報を教えてくれ、チェンラーイがいっそう魅力的な街に思われるようになった。
チェンラーイ、1984年。

2013年9月5日木曜日

街のほぼ中心にある時計塔


二度目に訪れたチェンラーイでは、主に街中を探索することにした。
街は静かで、ゆっくりと時が過ぎていく感じがした。車はあまり通らず、そのスピードもとても遅い。市民の交通手段は、サムローが主流のようだった。
散策するにも、街のほぼ中心にある時計塔を出発点にすれば、大体の方向や距離をつかむことができた。
チェンラーイ、1984年。

2013年9月4日水曜日

大衆食堂のウエイトレス


チェンラーイの宿の前には、大衆食堂が何軒か並んでいた。
ウエイトレスは、一応揃いのエプロンなどつけているが、どうもあか抜けない娘が多い。どの娘も人懐こく、マニュアル接客とは正反対の対応が、一人旅の身には嬉しく感じられた。
チェンラーイ、1984年。

2013年9月3日火曜日

チェンラーイ市場に隣接する寺


チェンラーイの寺院というと、ワット・プラシンやワット・プラケーオが有名だが、個人的にはこのワット・ムンムアンが馴染み深い。それは、中央市場に出入りすることが多く、そのすぐ隣りに位置しているからだ。
多くのタイの街の成り立ちは、先ず市場ができて、その周りに人が住むようになっていったことを考えると、市場のすぐ隣にあるこのワット・ムンムアンにも、それなりの歴史や意味があるのだろうと想像する。
チェンラーイ、1984年。

2013年9月2日月曜日

遺跡の街チェンセーン


チェンセーンは、遺跡がとても多い街だった。少し歩けば、すぐに遺跡が見えてくる。それがまた、柵も何もないような、ちょっとした空き地のような場所にあるのだ。
当たり前過ぎて、管理する必要などないのかもしれないと思ったものだ。
チェンセーン、1984年。

2013年9月1日日曜日

チェンセーン港へ続く道


チェンセーンでは、中国からメコンを下ってきた様々な商品が売られていた。特に、港に続く川沿いの道には露店がたくさん出ている。何れも、港から直接運び込んで商売しているようだった。
衣料品、乾物など、リンゴは箱で売られていた。日本のリンゴに慣れた目からすると、食べたいという気は全くおこらなかった。
チェンセーン、1984年。