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2014年5月9日金曜日

ノーンカーイ船着き場の食堂から


ノーンカーイ滞在中は、殆ど毎日ここで昼食を食べていた。川べりに席をとって、メコンを渡る風に吹かれていると、もう最高の気分だ。
客は誰もいない日が多かった。おかげで、いくら粘っていても大丈夫。
左手にある船乗り場を眺めたり、持参した本を読み耽ったり、ゆったりと流れ行く時間に身を委ねていた日々だった。
ノーンカーイ、1983年。

2013年8月31日土曜日

タイ大丸にて


タイ大丸のなかには丸い池があった。場所は地下か1階、とにかく下の方だ。
池の端に座り込んで、買ったばかりのタイ音楽のカセットテープをひろげていると、すぐ隣りにいた2人の女子高生に話しかけられた。彼女たちは、テープに収録されている音楽について、いろいろ説明してくれた。
「この歌手は、俳優で、ドラマにも出ていて・・・」
「この歌は、古いタイの歌で・・・」
記念に撮らせてもらった写真を日本から送ると、すぐに丁寧なお礼の返信が届いた。
バンコク、1983年。

2013年8月30日金曜日

アユタヤの川べりで


アユタヤの街は四方を川で囲まれていた。街中からどの方向に歩いても、しばらくすると川が見えてくる。
川べりでは、幼い妹の子守りをする少女に出会った。学校には行かずに、親の手伝いをしているという。それ以上詳しいことは、訊くことができなかった。
アユタヤ、1983年。

2013年8月29日木曜日

山田長政神社の鳥居


アユタヤ駅から市街へは渡し船で向かった。
大ざっぱな地図しか持ち合わせていなかったが、山田長政神社へは歩いて行くことにした。雨季だったが幸い雨に降られることもなく無事到着。日本で見るのと全く同じ鳥居には少々感動。
記帳ノートがあったので開いてみると、佐藤栄作、アントニオ猪木などの著名人の名前が並んでいた。
アユタヤ、1983年。

2013年8月28日水曜日

魚を捕る少女


ウドーンターニーは、やたらと広い道路が目立つ街だった。米軍基地があったという名残も、随所に見受けることができた。
路地を入ると、魚を網で掬っている二人の少女に出会った。獲物を見せてもらうと、5cmほどの小魚が数匹。日本の熱帯魚店で売られているパラダイスフィッシュという魚だった。
ウドーンターニー、1983年。

2013年8月27日火曜日

ノーンカーイの人たち


ノーンカーイで出会った人たちは、皆人懐っこかった。ふらりと立ち寄った食堂でも、必ずあれこれ話しかけられた。時には、従業員だけでなく通りがかりの人まで巻き込んで、当時はまだ珍しかった日本人の周りに輪ができるほどだった。
ノーンカーイ、1983年。

2013年8月26日月曜日

船着き場の食堂


対岸ラオスに発着する船着き場は、ノーンカーイのもう一つの玄関口でもある。ここでは食堂も営業されていた。テーブルクロスなどかかっていて、一見高級レストラン風だが、客をむかえる従業員は実にのんびりしたもの。
おかげで、何時間座っていても邪魔者扱いされることはなかった。
メコンを渡る風は心地よく、日本から持参した唯一の本「宝島スーパーガイド タイ」を開いて、優雅な時間を過ごすことができた。
ノーンカーイ、1983年。

2013年8月25日日曜日

ノーンカーイ船着き場


ノーンカーイを流れるメコンの対岸は、もう別の国ラオスだ。
船着き場で乗船する客は、皆ごく普通の格好をしていた。とてもじゃないが、外国に出掛けるという風情は見受けられない。
ノーンカーイ、1983年。

2013年8月24日土曜日

閑散とした雨季のノーンカーイ


夜行列車で到着したノーンカーイは、ちょうど雨が降っていた。
朝、通勤通学時間帯なのに、街は閑散としている。
ノーンカーイ、1983年。

2013年8月23日金曜日

サイアム最北端の地


メーサーイの国境橋の横には、タイ最北端を示す看板があった。
英語表記は「タイ最北端」、タイ語表記は「サイアム(サヤーム)最北端」となっている。
背景には、ミャンマー(当時ビルマ)の山並みが見える。
メーサーイ、1983年。