ラベル 周辺国ラオス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 周辺国ラオス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年5月20日金曜日

フエサイよりチェンコーンへ

フエサイのイミグレーション

ほぼ半日、自転車でフエサイを徘徊。宿泊は出費がかさむため、日帰りでタイに戻ることにした。
フエサイのイミグレーションは、川の側にある小さな三角屋根だった。係官はなんの愛想もなく、スタンプを押すと、パスポートを放り出してくれた。
物価がタイよりも高く、人の笑顔にも出会えない、少々残念なフエサイ滞在だった。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月19日木曜日

フエサイは日帰りで退散

フエサイの街

当初2〜3泊するつもりで来たフエサイだが、あまり魅力を感じるようなものはなかった。メコンを隔てただけなのに、気質もタイ人とはかなり異なって感じられ、話しかけた何人かもあまり愛想が良いとは思えなかった。
宿代も思いの外高くて、これは日帰りで退散するしかないと決心するに至る。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月18日水曜日

第4タイ・ラオス友好橋建設予定地

第4タイ・ラオス友好橋建設予定地

自転車を走らせて、第4友好橋建設予定地まで行ってみた。
フエサイの街からは、かなり南下した場所だった。タイ側の方から、川幅を狭くするような埋め立てが始まっているが、本格的な工事はまだまだ先のようだった。
第4タイ・ラオス友好橋が開通したのは、この約3年10ヶ月後の2013年12月11日のことだった。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月17日火曜日

フエサイの市場

フエサイの市場

フエサイ空港から大通りに戻る途中、小高い丘に市場があった。
売り場は、屋根のある部分と、傘の下にゴザを敷いた露店とに分かれていた。屋根付きの一角では日用品が並べられ、露店では野菜や果物などの農産物が置かれていた。
この市場から山地へ続く道は枝分かれしているようで、農作物などを持ち寄るにはちょうど交通の便が良い。もちろん道を下ればメコンに向かい、タイ同様、このような交通の要衝に市場がたつものだ。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月16日月曜日

フエサイにもカラオケがあった

フエサイのカラオケ

フエサイ空港から大通りに戻る途中、カラオケ屋を発見した。このときは閉まっていたので、休業だったのか、或いは夕方からの営業なのか。街中からは離れているので、現地の人が利用する店なのかもしれない。
漢字表記はどこの国でも共通しているのだろうか。上下拉致OKなどと判読した酔狂な者がいた。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月14日土曜日

フエサイの食堂は高かった

フエサイの食堂

自転車を走らせていると、客で賑わっている食堂を見つけた。知らない土地で外れない食事にありつくには、地元民で流行っている食堂を探すのが早い。そろそろ昼食どき、この店で食べることにした。
メニューには、ご飯ものと麺類がいくつか書かれている。その中で一番上に書かれていたチャーハンを注文する。メニューの先頭には、その店の看板メニューをおくことが多いからだ。
使われている調味料がタイと異なるためか、色はちょっと黒っぽく、味もチェンラーイあたりで食べるチャーハンとは違っている。
そして値段のほうは、何と30バーツもした。当時、チェンラーイの市場食堂では、チャーハンは20バーツが相場。その1.5倍はかなり高い。30バーツなら、大盛りにして、さらに目玉焼きをトッピングできる値段だ。
別にボラれているわけではなく、地元の人も、換算すると同様な金額を払っていた。
後で知ったことだが、宿代にしろ食事代にしろ、この街の相場は、タイよりも少々高いらしい。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月13日金曜日

フエサイ空港の波打つ滑走路

フエサイ空港

フエサイの街から自転車で先ず向かったのは、フエサイ空港だ。別に飛行機に乗るためでも、フライトの予約を入れるためでもない。この空港の滑走路を見たかったのだ。
実はチェンラーイで、知人から、
「フエサイ空港の滑走路は波打っている」
と聞いていたので、それをこの目で確かめてみたかったのだ。
空港の滑走路といえば、平坦で真っ直ぐなものと思っていたが、そうでない波打つ滑走路が存在するなど、実に興味深いことではないか。もし空港内に立ち入ることができたら、自分の自転車で、その波打ち具合を体感してみたいものだ。
外から様子を伺うと、誰もいないようだし、もちろん飛行機の発着予定などなさそうだ。おそるおそる自転車で近づいていくと、奥から空港職員らしき人物が現れた。何の愛想もなく追い払われ、残念ながら遠見からの滑走路見物と相成った。
ちょっと分かりにくいが、確かに左端のほうが波打っているのが確認できる。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月12日木曜日

欧米人の自転車乗りが走る

フエサイの街

フエサイの船着き場から、右手にメコン河を眺めながら、自転車で大通りを南へ向かった。
すぐ前を欧米人のカップルが、自転車を走らせている。荷物の量からみて、ツーリングで旅をしているのだろう。
こちらもゆっくり走っているのだが、しばらくすると追いつき追い抜いてしまった。軽く手を上げて挨拶すると、笑顔で応えてくれた。
ラオス国フエサイ。2010年。

2016年5月11日水曜日

フエサイの寺院

フエサイの寺院

ラオス側のボーダーから街に入ると、まず目に入るのが、お寺に上がるこの階段だ。その名称は、表記の通りに読むと、「ワット・チョームカオ・マニラット」という寺院らしい。
そこそこ立派な寺院だったが、あいにく写真が残っていない。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月10日火曜日

フエサイの船着き場

フエサイの船着き場

タイ側チェンコーンからは、渡し船で僅かの時間だった。メコンは大河というイメージだが、船で渡ればこんなものかと、呆気ないほどのものだ。
船代は50バーツ。客が集まればどんどん出るが、逆にちっとも客が来ないと、いつまでも待たされることになる。
この後、自転車で、ラオス側のイミグレに向かう。
ラオス国フエサイ、2010年。

2014年12月9日火曜日

ドンサオ村にて


2004年1月に、チェンセーンから船で上陸したドンサオ村は、一応ラオス国に属する。
手許には縮小した画像しか残っていないので、国旗と村の表示、観光客と一緒に写真に収まるラオスの子供たちの、2枚の画像を連結してみた。
ドンサオ村、2004年。

2014年11月1日土曜日

ラオス側から見たメコン


タイに居ると、メコンは常に陽の上る方向にある。ところが、対岸ラオス側からだと、メコンの方角から西日が射してくる。当たり前のことだが、こんなことが非日常として感じられた。
北タイからルアンプラバンへ入る場合には、チェンコンからフエサイにわたり、そこからボートで下って行くのが一般的だが、乾期は、川の水量が極端に減少している。
ルアンプラバン、2000年。

2014年10月31日金曜日

少女店主


山岳民族の市場では、服や織物、小物入れなどが売られていた。この少女も手作りの織物を売っている、立派な店主だ。
ルアンプラバン、2000年。

2014年10月30日木曜日

ラオスの笑顔


北タイの生活に染まっているせいか、ラオスでは笑顔が少ないと感じた。それでも10代の女の子は別で、片言のラオス語で話し掛けるとこの通り、屈託のない笑顔を見せてくれた。この世代の女子が、ちょっとしたことで笑ってくれるのは、世界共通かもしれない。
ルアンプラバン、2000年。

2014年10月29日水曜日

山積みのフランスパン


ラオスは、第2次世界大戦をはさんで、2度にわたってフランスの植民地になっている。フランスの影響は大きかったようで、ライスワイン(日本酒のようだった)とフランスパンは、特に美味しく感じられた。
朝の市場でも、山積みにされたパンが売られていた。
ルアンプラバン、2000年。

2014年10月28日火曜日

空路でルアンプラバンへ


ルアンプラバンへは2000年、チェンライから空路で訪れた。空港で30ドル払うと、その場でビザが発給された。
飛行機は、格安航空会社として参入したばかりのエンジェル航空。チケット代は5380バーツ(当時約17700円)。チェンラーイ空港を無事飛び立ち水平飛行にはいると、機長による乗客への挨拶回り が始まった。乗務員室から出てきた機長の姿を見たとたん、背筋を冷たいものが走る気がした。とうに70を過ぎていそうな、いやもしかすると80に手が届くのではないかという老機長だったからだ。通路を歩く足取りも心なしかおぼつかないようで、後ろを歩くアテンダントが病人の付添人のように見えたほど。
ところが、老機長イコール大ベテランだったようで、無事ルアンプラバンの空港に到着。
ニュー・ルアンプラバンホテル45ドルに投宿、早速街歩きに出た。
舗装道が少ないせいか、乾季のルアンプラバンは埃っぽい。幸いなことに車は少なく、人の歩みもゆっくりで、時間もゆっくり流れていくような気がした。この落ち着ける街は、それ自体ユネスコの世界遺産に登録されているのだ。
ルアンプラバン、2000年。