2018年12月24日月曜日

課外授業でワットプラケオへ


市場の東側、郵便局前に小学校がある。そこの低学年の生徒たちが整列しているので、引率の先生に訊いてみると、これからワットプラケオで課外授業があるとのこと。
授業の内容は、高僧による説話。日本で言う道徳に近いもののようだ。このような授業は定期的に行われているそうで、子供たちも熱心に聞き入ってくれるという。
タイのテレビを視ていると、お寺で高僧の話に耳を傾ける子供たちの映像が出ることがある。皆、熱心で、なかには涙を浮かべている子もいたりする。どんな話を聞いているのか、興味がある。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月22日土曜日

ワット・プラシンの三宝節

三宝節の日、本堂の周りを三回周ってお参りをする。

2016年夏の滞在は、僕としては短期間のものだった。16年一緒にいる愛犬の体調不良によるもので、危篤状態から回復した空きを見て日程を決めたものだ。犬には、帰るまで「生きていろよ」と言い聞かせておいた。
チェンラーイ入りした当日が、ちょうど三宝節の日だった。
三宝節とは、陰暦8月の満月の夜に釈迦が初めて5人の弟子に仏法を説き、これによって仏・法・僧の三宝が完成されたことを祝う仏教祭典だ。
夕刻、ワット・プラシンに出掛けてみると、ちょうどお参りの人が来始めていた。人々は花と線香を手に、お経を唱えながら本堂の周りを3周する。
帰国すると、犬は言いつけを良く守り、散歩に出られるまでに、一旦は回復した。お蔭で、それから2ヶ月間、最後の世話をすることができた。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月20日木曜日

「ワットフアイプラーカン」観音像建造中

ワットフアイプラーカンには、巨大な観音像が建造されている。

2016年2月、「ワットフアイプラーカン」の観音像は、完成間近になっていた。
これはかなり巨大な像で、すぐ北側に完成している9層建ての本堂と並んで、とても壮観なものになっている。やはり郊外で、土地を存分に使えるということが、大きな利点になっているのだろう。
この周辺も次第に開発されて、大きく様変わりしていく予感がする。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月19日水曜日

「ワットフアイプラーカン」観光地へ

ワットフアイプラーカンは、9層建てのお寺として、近年観光地にもなっている。

約1年ぶりに、ワットフアイプラーカンに行ってみた。
日本から来た友人を誘って自転車で出掛けたのだが、郊外にあるとは言え、メーファールアン橋を渡ればさほど遠くもないので、普通の自転車でも楽に行ける距離にあるお寺だ。
昨年はいかにも未だ整備中という感じだったが、この年になるとだいぶ整備が進んでいた。駐車場や売店も機能していて、隣県からも高校生たちが遠足で訪れていた。
因みにこのお寺の名前「ワットフアイプラーカン」を直訳すると、「魚が閉じ込められた峡谷」ということになる。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月18日火曜日

花祭り会場は記念撮影の場


「旗と灯り公園」は、花祭り会場として使われる間、記念撮影の場としても良く利用されている。時節柄卒業記念撮影や、結婚記念写真撮影等によく出くわす。
この日も新婚さんが、記念写真を撮っていられた。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月17日月曜日

コーヒー豆が乾されていた

チェンラーイ時計塔の周りには喫茶店が多く、夜はイルミネーションショーを眺めながら、美味しいコーヒーを飲むことができる。

新時計塔が完成してから、市内の見どころとして注目されるようになった。そのせいか、時計塔の周りは喫茶店だらけになってしまった。夜まで営業する店も多く、客はコーヒーなど啜りながら、時計塔のイルミネーションショーを眺めるのだろう。
北タイのコーヒーは、近年とみに有名になった。味の評判も良いので、このような店でもかなり美味しいコーヒーを楽しむことができる。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月16日日曜日

モン族の鞠投げ遊び

モン族の鞠投げ遊びは、恋人探しの意味もある。

メンライ王祭りメーファールアン郡のブースで、当地に住むモン族が、鞠投げ遊びを見せてくれた。
この遊びは、古くからモン族に伝わるもので、列になった男女が向かい合い、布製の手鞠を投げ合うものだ。村のお祭りのときには、他の村から遊びに来たモン族も加わり、恋人探しというお見合いの意味もあるという。
他の国から来た日本人も加わってみたが、鞠の集中砲火を受けて、モテモテだった(笑)。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月15日土曜日

アカ族の竹筒楽器

アカ族の竹筒楽器は、地面に打ち付けて音を出す。

メンライ王祭りメーファールアン郡のブースにて。
アカ族の中学生たちが持っている竹筒は、彼らにとっての伝統楽器だ。これを地面に叩きつけて音を出すのだが、ボコッとかボンとかいう音になる。1本だけだと情けない音でしかないのだが、数が揃うとなかなかの迫力だ。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月14日金曜日

寒波襲来


2016年1月24日夜から冷たい雨が降り続き、それとともに記録的な寒波が、チェンラーイ県に襲いかかってきた。何でも、観測史上最大の寒波とのことだった。
一般的にタイの季節は3つに分けられる。タイ正月の頃の暑季、その後に続く雨季、それが明けて寒季と。12月から2月までが、最も寒い寒季とされる。ところが日本人の感覚からすれば、これは本州の4月かせいぜい3月頃の気温で、あまり寒さは感じない。それよりも、この時期は雨が殆ど降らないので、寒季というよりは乾季と表現したほうがしっくりくる。
しかし、この年は本当に寒かった。昼間から、日本から着てきた冬着を総動員。夜は、重ねた布団を被って丸くなっていた。
地元の知人宅では、池の魚が全滅。凍死してしまった。ちょうど開かれていたメンライ王祭り会場では、金魚掬い(と言っても殆どは現地の魚だ)の露店で、掬いやすい現地の小魚が凍死してしまい、寒さに強い金魚だけが生き残っていた。やや図体の大きい金魚を掬うのは難しく、しかも下の方にかたまってしまっているので、この年の金魚掬い店は商売上がったりだったろう。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月13日木曜日

日本語学校の生徒たち


チェンラーイ花祭り会場で、浴衣姿の人たちが集まっていた。皆タイ人のようなので、声を掛けてみると、日本語学校に通う生徒とのこと。花祭りのイベントとして、これから生花を体験学習するのだという。
「何故日本語を?」
の問いには、
「日本の企業で働きたい」
が圧倒的に多かった。
やはり経済の強さは、大きな魅力なのだろう。
せっかくなので、集まっていただき、撮らせてもらったのがこの写真だ。
準備中忙しいところ話し掛けたりして、邪魔になってしまったかもしれないが、ネイティブな日本語に接する機会があって、少しは良かったのではないかと思いたい。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月12日水曜日

郊外の焼き鶏屋

炭火でじっくり焼かれたガイヤーンは美味しい。

タイ風焼き鶏、ガイヤーンは、炭火でじっくり焼いたものが、やはり美味しい。
昔は、街中でもこのような屋台店は良く見掛けたが、近年は次第に郊外に移動していっているようだ。おそらく、煙の量が物凄いので、街中では近所迷惑になってしまうのだろう。
自転車で通り掛かったメーファールアン橋近くのこの店には、一組だけだがテーブルと椅子が置かれていた。ちょうど小腹が空いていたので、小分けにして串焼きになったものを、そこに座って食べてみた。表面はカラッとして中はジューシー、昔ながらのガイヤーンの味わいだった。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月11日火曜日

ミストが気持ち良い

ミストが噴霧される公園。

チェンラーイ花祭り会場では、時間帯によってミストが噴霧される。
時間帯によってと書いたが、これは特に決まっていないそうだ。切りの良い時間にすることもあるし、客も多く暑いときに行うこともあると聞いた。
ミストの下に入ればかなり涼しいし、暗くなって光を反射すれば見映えも良い。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月10日月曜日

人気のラーメンチェーン店


殆どタイ全土にチェーン展開をしている、「チャーイシー」と呼ばれるラーメン屋台店は、チェンラーイ市内にもたくさんある。
この街では特に、新時計塔西方、セブンイレブン前の店がよく流行っている。夕方からの営業だが、いくつかあるテーブルはほぼフル稼働。おまけに持ち帰りの客も、順番待ちの列をつくるほどだ。
チェーン店だけに、材料の仕入れ元は同じだろうが、店によって、付け合せの具材やスープの味付けなどは異なるようだ。
店名の由来は、4人兄弟が店を開いたことから「チャーイシー=4人の男」ということだそうだ。看板に「4」という数字があることから、日本人旅行者の間では「4番ラーメン」などとも呼ばれている。
昼にブッフェなど食べて、夕飯は軽く済ませたいときなど、良く利用している。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月9日日曜日

歩行者天国のたこ焼き屋


いつの頃からか、チェンラーイ歩行者天国でも、日本風食品を見掛けるようになった。どら焼き、寿司、焼きそば、たこ焼きなど、何れも年々増えているように感じられる。
どれも試してみたことがあるが、たこ焼きの中身はタコでなくイカだった覚えがある。
この店は、店主自身たこ焼きを食べるのが好きで始めたそうだ。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月8日土曜日

チェンラーイ花祭り開催

チェンラーイ花祭り会場は、旗と灯り公園に固定されている。

チェンラーイ花祭りは、毎年、12月から2月半ばまで開催される。
会場が刑務所跡地公園に固定されてから、地元の人や観光客で、大いに賑わうようになってきた。
ちなみに、会場となる公園は、現在は「旗と灯り公園」というようだが、昔からの旅行者にとっては「刑務所跡地公園」の方が通じ易かったりしてしまう。
チェンラーイ、2016年。

2018年12月7日金曜日

釣り解禁の日


ノンプーン地区にある湖に、たくさんの釣り人が来ていた。訊いてみると、今日から釣りが解禁になったそうだ。
一人で何本も釣り竿を並べていて、皆さんなかなか気合が入っている。獲物は主に、ナマズの仲間のようだ。
実際にどんな魚が釣れるのか気になったが、しばらく見ていても一向に釣果が上がる気配はなかった。
チェンラーイ、2015年。

2018年12月6日木曜日

サーマキー高校集合写真


7月の入安居に因んだろうそく祭りパレードの日、刑務所跡地公園で、パレード参加のサーマキー高校生集合写真撮影が行われていた。
撮影者の横で、ついでに1枚撮らせていただいた。
この高校は、市内ではトップクラスの進学校として知られる。
チェンラーイ、2015年。

2018年12月3日月曜日

「アカノイコーヒー」開店


チェンラーイに来ていた友人のホテルを訪ねてみると、そのホテルのすぐ脇に新しい喫茶店がオープンしていた。
「アカノイコーヒー」という看板が出たその店に聞くと、ちょうど今日が営業初日とのこと。初日と聞いたら、これは縁起物で、もう客となるしかないだろう。メニューを見ると、だいたい40バーツ前後からと、ほぼ市場の値段だ。
このときに飲んだ50バーツのホットカプチーノは、香り豊かで美味しかった。
店の場所は、タナイ通りチェンマイ門近くになる。僕の定宿からは少々距離があるので、滅多に行かないのだが、もう3年経って未だに営業しているところをみると、そこそこ流行っているのだろう。
チェンラーイ、2015年。


2018年11月21日水曜日

獅子舞市場を行く


春節の頃になると、チェンラーイでは獅子舞が始まる。
中国系の店を軒並み回っていくので、獅子もそれを回り切るのは大変なようだ。よって、チェンラーイでは、獅子舞は2週間位続くこともある。
市場内も、勿論その例外ではない。客かと思ったら獅子が現れた、ということで、びっくりする店主もいるかもしれない。
チェンラーイ、2015年。

2018年11月20日火曜日

卒業写真


CVK学園高等部卒業式の日に。
先生を囲んで、記念撮影の一コマ。
チェンラーイ、2015年。

2018年11月19日月曜日

CVK学園卒業式の日


チェンラーイ第一公設生鮮市場西側に、道路を隔ててCVK学園という学校がある。日本で言う、幼稚園児から高校生までが通っているキリスト教系の私立校だ。
知人の娘さんが在校生だったこともあって、顔見知りの先生もいるし、校門の警備員は僕が通りかかると必ず挨拶をしてくれる。
この年の卒業式も2月14日だった。バレンタインデーに合わせたのだろうが、毎年この日に固定されているのかは知らない。
写真は、卒業式を終えた卒業生たちが、式場から出てくるところだ。
向かって右側がタイ国旗、左側はイタリア国旗を横にしたようなデザインだ。これがこの学校の校旗とすると、イタリア(人)に深い関わりがあるのかもしれない。
チェンラーイ、2015年。

2018年11月18日日曜日

ムスリム礼拝の日


チェンラーイ第一公設生鮮市場の南側に、ムスリム通りと呼ばれる一角がある。通りの中ほどにはモスクが建ち、ムスリム料理屋や屋台も出ていたりする。
2月8日の日曜日、ムスリム通りを通り抜けようとすると、モスク前に人集りができている。露店も並んで、何やら催しがあるような賑わいだ。
「今日は特別の礼拝の日」と聞き、外の様子など撮影していると、モスクの中に入るよう誘われた。礼拝室には、子供達が集まって、礼拝の準備をしていた。
「このモスクは中国人が建てた」と言われたが、共産チャイナなのか、台湾系なのか、はたまたタイに同化した華僑なのか、詳しく聞いておくべきだったと後悔した。
チェンラーイ、2015年。

2018年11月16日金曜日

新装なったプレーの公設市場


プレーの大きな市場は、もう一箇所、公設の屋内市場がある。前回の訪問の時は整備工事中で休業していたが、今回はきれいに整備されて買い物客で賑わっていた。
商品も、小分けされたり袋詰になっていたりするなど、売買しやすい工夫がされているが、その分路上市場に比べると、少々割り高にもなっている。

また、この夜から冷たい雨が降り続き、翌日は昼間も気温が上がらない。衣類総出で、日本を発つときと同じような格好で震えていた。天気予報によると、しばらくこんな天気が続くようだ。せっかくのプレー滞在も、これでは動きがとれない。仕方なく、翌々日にはチェンラーイへ向けて出発した。
プレー、2015年。

2018年11月15日木曜日

先ずはプレーの路上市場


プレー到着の翌日、まず出掛けてみたのが、例によって市場だ。この街には、大きな市場は2箇所あるようで、そのうちの一つ、路上市場に自転車を走らせた。
朝の時間帯は、主に食料品を買う客で賑わっている。乾季なので、果物の種類は豊富とは言えない。季節によって、地域によって、市場に並ぶ商品は変わる。
また、市場巡りは人間観察の場でもあり、現地の人の人柄を垣間見ることもできる。
プレー、2015年。

2018年11月14日水曜日

プレーの宿「パラーダンホテル」


プレーでの宿は、バスターミナルから通りに出た正面にある「パラーダンホテル」だ。
一泊530バーツと、僕にとってはかなり高額な宿代になるが、部屋は清潔で機能的、従業員も感じが良い。部屋の機能性というのは、僕にとっては、必要なものは全て揃っていて不必要なものはない、しかも落ち着ける程度の広さを意味する。
日本から持参した折り畳み自転車は、従業員の指示通りフロント脇に置かせてもらう。泥棒など殆いないと聞くこの街では、盗難の心配もあまり感じられない。
このホテルを起点に、快適な乾季のプレーで、数日ポタリングを楽しもう。
プレー、2015年。

2018年11月13日火曜日

ピチットからプレーへ


ピチットから次の滞在先のプレーへは、直通のバスはないようだった。そこで、いったんピサヌロークまで行き、乗り換えてプレーに向かうことにした。
朝のバスターミナルは閑散としていて、バスも2台ほどしか停まっていない。この赤いバスが、8時発のピサヌローク行き。運賃は36バーツだった。
ピサヌロークまでは1時間半。そこからプレーまでは3時間半、バス代は127バーツだった。
ピチット、2015年。

2018年11月12日月曜日

ピチットのワニ園


ブンシーファイ(シーファイ湖)に隣接して、ワニ園があった。
入場料が掛かるものと思ったら、なんと無料で入ることができた。屋内にはワニの剥製などの展示物もあるが、やはり見どころは池に飼われている本物のワニだろう。
ワニたちは、水に浮かんでいたり、陸で日光浴をしていたり、皆くつろいだ様子だ。ワニ用の餌の販売などあるのかと探してみたが、あいにくこの時は見つからなかった。餌やり体験は、休日など、人出の多いときだけの催しなのかもしれない。
ピチット、2015年。

2018年11月10日土曜日

ピチットの湖


ピチットで観光地らしきところといえば、街の南方にあるブンシーファイ(シーファイ湖)くらいだろうか。日本から持参した折り畳み自転車で出掛けてみると、観光地にしてはいかにも地味な佇まいだ。
食堂を兼ねた売店と、飲み物を売る露店が出ているが、客の姿は殆ど無い。湖周辺で見かけた人は、地元の高校生のグループと、遊びに来ていた家族連れだけだった。
昼と夕方と二度行ってみたが、いずれも似たようなもので、いつも閑散としているようだった。その分、静かな時を過ごすことができるのではあるが。
ピチット、2015年。

2018年11月9日金曜日

ピチットのワニの昔話


街の南方ブンシーファイ湖岸には、ソムデットプラシナカリン公園がある。その公園には、ワニと二人の女性の像があった。ピチット県を舞台とした、ワニの昔話に因んだものだろう。
人に化けることができる凶暴なワニが、国王の娘の一人をみそめて誘拐するが、グライトーンという若者がそのワニを退治する。喜んだ国王は、助けられた娘と、もう一人いた娘もグライトーンに与える。その後彼は、二人の妻と幸せに暮らしたと伝えられる物語だ。
公園にある像の、二人の女性はおそらく国王の娘だろう。しかし、この真中のワニは何だろう? グライトーンがワニに化けているのだろうか。それとも退治された凶暴なワニなのだろうか。何とも不思議な像だった。
ピチット、2015年。

2018年11月8日木曜日

ピチットの時計塔


持参した折り畳み自転車でポタリングをしていると、偶然時計塔に出くわした。
大抵の地方都市には、ほぼ街の中心にこのような時計塔があるもので、道路としてはラウンドアバウトとして機能する。
このような時計塔は、その街の特徴を表したものが多く、見比べていくとなかなか興味深い。ここピチットは、ワニの昔話で有名な街だけに、時計を取り巻くようにワニが並んでいる。そんな様子をひと回り、交通量が少ないのでゆっくりと観察することができた。
ピチット、2015年。

2018年11月7日水曜日

ピチット街角の露店


ピチットの通りにも、露店が点々と出ていた。
そもそも路上に出る店は賑やかな通りに出店するものだが、ピチットの街はもともと、交通量も、道行く歩行者も少ない。売り手も実にのんびりしたもので、あまり商売っ気がないように感じられる。
ピチット、2015年。

2018年11月6日火曜日

ピチットの街角


ピチットは、交通量も少ない街だった。日本から持参した折りたたみ自転車に乗っていても、危なく感じたことは一切なかった。
辻からバイクが出てくるが、犬はどこうとしない。見ていると、バイクのほうが避けて通り過ぎていった。
ピチット、2015年。

2018年11月5日月曜日

ピチットを流れるナーン川


オカナコーンホテルから東へ1キロほど行くと、ナーン川が流れている。
かなりの水量と期待していたのだが、あいにく乾季真っ只中。特に今年は水位が下がっているとのことで、まるでどんよりとした水たまりのようだった。
ここにも、小さいながら水上ハウスがいくつか浮かんでいた。
ピチット、2015年。

2018年11月4日日曜日

蜂の巣は天然甘味


ピチットの夜祭り屋台で、蜂蜜が売られていた。蜂の巣の見事な大きさに見とれていると、売り子のおばさんが、試食用に蜂の巣を少しちぎってくれた。そのまま食べてみろと言う。
一欠片の蜂の巣には、まだ生きている蜂の子もいた。丸ごと口に入れると、そのとろけるような美味しさにビックリ。僕の表情に満足したおばさんは、瓶詰めを買って行くよう勧めてきた。
ピチットに長期滞在するならそれも良いが、これからの移動を考えるとちょっと無理がある。代わりに、蜂の巣を小袋に入れて貰った。長辺10センチ位だったろうか、5バーツで良いと言うが、僕は10バーツを払ってそれを受け取った。
宿でゆっくり味わってみると、正しく天然自然のまろやかな甘さは、もう極上の味わいだった。
ピチット、2015年。

2018年11月3日土曜日

ピチットの夜祭りへ


オカナコーンホテルのフロントから、今夜はちょうど夜祭りがあると聞いて、夕飯がてら出掛けることにした。
場所は街の北方、国道115号線沿いにある空き地とのこと。土地勘がないので、果たして無事に辿り着けるか、少々不安もあった。ところが、とにかく周りが暗いので、ほんのり明るい一帯は、すぐに探すことができた。
いつも市場で売られている食料品や衣類の露店が並んでいるだけだが、夜の遊び場が他にないのか、地元の人で賑わっていた。このような催しが常態化すると、ナイトバザールになっていくのだろう。
ピチット、2015年。

2018年11月2日金曜日

ピチットの市場へ


2015年1月6日、以前から行きたかったピチットの街を訪ねてみた。
バンコクのモチットから5時間弱バスに揺られ、その料金は283バーツだった。
宿は行き当たりばったり、バスターミナルから出てすぐに目についたオカナコーンホテルの部屋を見せてもらうと、350バーツにしてはかなり良かったので、そこに決める。
日本から持参した折りたたみ自転車で早速出掛けてみたのが、例によって市場だ。宿のフロントで大まかな場所を聞くと、鉄道駅に行く途中にあるらしい。自転車で10分も掛からなかったと記憶する。道路は殆ど車もなく、のんびりと自転車で走るのに、何の心配もなかった。
肝心の市場は、実に長閑な、タイの地方都市独特の雰囲気を感じさせてくれた。街の東にナーン川が流れていて、南にはブンシーファイという湖があるためか、淡水魚の加工食品の商品が目立った。
ピチット、2015年。

2018年10月27日土曜日

カオニアオダムサンカヤー


屋台店では良く、バナナの葉に包まれた焼き物が売られている。中身が見えないので敬遠される向きもあるが、意外と美味しいものに出会えることも多い。
この包み物は「カオニアオダムサンカヤー」という。日本語にすれば「黒餅米ココナッツプリン添え」だろうか。
餅米の甘みとココナッツの風味が合っていて、いかにも北タイ風の、お茶のお供には最適なお菓子だった。
チェンラーイ、2013年。

2018年10月26日金曜日

グラビア撮影だろうか


BTSサイアム駅近くの空き地で、モデル撮影が行われていた。
撮影者は欧米人、モデルはタイ人のようだ。助手がかざしているのは、レフ板ならぬ日除け板だ。
バンコク、2013年。

2018年10月25日木曜日

バイクは日陰に


信号待ちの歩行者が、電柱などの日陰に入っている姿は良く見掛ける。勿論強い陽差しを避けるためだが、陽の下に身体がさらされるバイク乗りも、やはり日陰で赤信号をやり過ごしている。
暑い国で、ヘルメットなど被って直射日光を浴びれば、これはもう堪らないストレスになるのは良く分かる。
バンコク、2013年。

2018年10月24日水曜日

巨大な首があった


タイにいると、ときどきとんでもない展示物に驚かされることがある。
この日も、バンコク伊勢丹前に、こんな巨大な首が展示されていた。顔つきからしてインディアンのようにも見えるが、作者の意図は何なのか、思い至ることができなかった。どうも、このような作品を見る目は持ち合わせていないようだ(笑)。
バンコク、2013年。

2018年10月23日火曜日

自転車ごと列車に


バンコクに来ると、用もないのに出掛けてしまうのがフアラムポーン(バンコク中央駅)だ。
ドンムアン空港に到着してバンコク市街へ、あるいはドンムアン空港を旅立つ際に、フアラムポーンは旅の始まりであり旅の終わりでもあることが多かった。タイ国内も、北部や東北部へ旅立つ起点として利用したことがある。
駅のホームで、そんなことをつらつら思い出していると、自転車を押した欧米人が通り掛かった。列車を確認しているようなので、もしかして、と眺めているうち、案の定自転車ごと車内に消えてしまった。その様子から、自転車旅行には慣れているようなので、こんな旅行スタイルも、タイではありなのだろう。追加料金は払っているのだろうか。
バンコク、2013年。

2018年10月22日月曜日

「バレンタイン」のラペッイエ


タチレク国境近くの喫茶店「バレンタイン」に立ち寄ってみた。
この店は、飲み物から定食(セットメニュー)まで揃っている。店内も清潔で、値段も高くはないので、タチレク散歩の帰りによく利用する店だ。
この日も、とりあえず注文したのが、ミャンマー風アイスミルクティー、ラペッイエだ。ミャンマー語は知らないが、「ペ」は有気音のようで、強く発音するとうまく通じてくれる。
ポットのお茶はお代わり自由なので、コップの下の方のお茶の部分を先に飲む。それに注ぎ足していくと、何杯か、楽しむことができる。最初に掻き回してしまうのは禁物だ。2杯目以降に、ミルクの味がしなくなってしまう。
タチレク、2013年。

2018年10月21日日曜日

ナイトバザールのおかまショー


チェンラーイナイトバザールでは、毎晩二回、タイダンスのショーが行われていた。
若く美しい女性による舞踊ショーは人気があり、わざわざその時間に合わせて来る観光客も多いようだった。ところが、ときどき、「ん?これは女性か?」という日もあり、それはおかまショーのステージなのだ。
いつもはタイ古典舞踊風なのが、おかまショーのときは派手なドレスなど着込んだ西洋的なもので、これはまた人気があるようだった。
当時は毎週水曜日がおかまショーと決まっていたが、最近は不定期になっているようだ。
チェンラーイ、2013年。

2018年10月20日土曜日

タチレクの建設現場


タチレク散歩の途中で、建築作業中の現場に出くわした。
足場は、竹を組み合わせて造ってある。バケツに入れたセメントを、梯子を使ってリレーしている。動作がゆっくりしているのは、暑いから無理ができないのだろう。
タイで見る現場と変わらないが、作業を監督する人がロンジーを履いているのがミャンマーらしい。
タチレク、2013年。

2018年10月19日金曜日

整備されたチェンラーイのラックムアン


ラックムアンとは、直訳すれば街の臍、その街を拓く礎になった場所を意味するそうだ。竿(柱)という意味の言葉を付けて、サオラックムアンとも言う。
さてチェンラーイのラックムアンは、軍施設近く「ワット・ドイトン」の南側に隣接している。
ここが再整備されたと聞いて早速出掛けてみると、遠足の中学生や地元の人達でかなり賑わっている。かなりきつい階段を登らなければならないのだが、平日でもこんなに人が集まっているとは少々意外なことだった。
チェンラーイ、2013年。

2018年10月18日木曜日

例大祭の夜店


お寺の例大祭の夜、境内にはたくさんの露店が出ていた。日本の神社のお祭りの夜と、そう変わらない雰囲気だ。
なお、このお寺は、Google Mapによると、ワット・スリミンケーオ(ワット・フアファーイ)というらしい。タイの地図も、今やネットで確認できる。便利になったものだ。
チェンラーイ、2013年。

2018年10月17日水曜日

例大祭本堂では


お寺の例大祭の夜、本堂には、各地域から持ち込まれた花が飾られていた。
その数は多く、こんな地方のお寺にしては、随分たくさんの地域から参加しているものと驚く。お寺に住み着いている猫も、何事が起こったかと様子見に出てきた。
この後、この本堂では高僧の説話が始まった。
チェンラーイ、2013年。

2018年10月16日火曜日

例大祭のお寺前では


例大祭の日、お寺の前では、各地域から集まってきた人達が大いに盛り上がっていた。もう、飲めや歌え、舞えや踊れ、何とも楽しげだ。大の大人が、まるで子供、いや子供達も呆れるほど、楽しまにゃあ損、とでも言いたげだ。
僕も、あまり飲めない酒を飲まされ、一緒に踊ってみたが、何とも爽快! なるほど、こういう一時を過ごせば、多少の嫌な事や不安など吹っ飛んでしまうだろう。
大袈裟に言えば、これもタイ人のサバーイ精神なのだろうか。
チェンラーイ、2013年。

2018年10月15日月曜日

お寺の例大祭へ


地元のタイ人知人に誘われて、お寺の夜祭りに出掛けることになった。
夕方、知人宅に伺うと、すでに外が賑わっている。各地域ごとにまとまって、お寺に向かうとのことだ。これは、地域上げての、かなり大掛かりなお祭りらしい。日本で言えば、地域の例大祭のようなものか。
そして出発。僕も車に同乗して、お寺へと向かう。
お祭りと聞くと、国を超えて、何だかワクワクするものだ。
チェンラーイ、2013年。

2018年10月13日土曜日

お寺での生活は


地元タイ人の知人に誘われて、郊外にあるお寺を訪ねてみた。
このお寺は街中とは違って、敷地が広く使えるせいか、とにかく広大だ。右手に見えるコテージのようなものは一般の宿泊所で、誰でも無料で寝泊まりができるそうだ。
泊まりに来る人が何をするのか尋ねると、敷地の清掃、お経を読んだりお参りをしたり、高僧の話を聞いたり、要は修行僧と同じような生活をするということらしい。
「ここで数日過ごすと、とても気分が落ち着いて元気になる」とのことだ。
勿論、無料とはいえ、利用者はそれなりの寄進をしていく。
チェンラーイ、2013年。