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2021年8月30日月曜日

メーコックヴィラ 我が部屋


 メーコックヴィラに長く滞在するときは、右手長屋の一番手前C19という部屋を選んでいた。角部屋が落ち着くのと、自然光が入りやすく、風通しも良いという理由からだった。

生活用品は、殆ど宿に預かってもらっていた。この写真に写っている物ほぼ全てと、外に置いてある自転車だ。

ラジカセでは、日本の短波放送を聴いたり、カセットテープでお気に入りの音楽を流したり。もちろん現地のFM放送も受信できる。その隣にあるのは、PAL方式の小型テレビだ。タイのテレビを視聴するために、秋葉原の免税店で買い込んできたものだ(ちなみにパスポートを提示したら一時帰国中と認められ、免税価格で買うことができた)。これでタイ語のヒアリング能力を高めようと思ったが、効果はあまり感じられなかった。そんなに甘いものではない。

左の木箱には貴重品が入っている。その隣が食材置き場。水を張ったボトルに足を入れてあるのは、アリの侵入を防ぐためだ。この部屋では、蚊とアリとの戦いだったなあ。

三段の棚には、着替えと本の類いが収納されている。

2001年まで、この部屋で毎年数ヶ月を過ごしたが、時間の過ぎ方はいつも不思議に感じられた。1日1日は、とてもゆっくりと感じられる。ところが、あっという間に一週間が経ち、1ヶ月が過ぎ、気が付くと帰国の日が迫っているのだ。1日の長さと1ヶ月の短さ。

短期で、あるいは長期で、利用した宿は数あれど、この部屋での生活が最高のものであったことは間違いない。

2001年、チェンラーイ。

2014年11月26日水曜日

パタヤーの注文食堂


パタヤーの表通りでは、外国人が多いせいか、いろいろな国の料理を食べることができた。その代わり値段は少々高め。いつもそんなものばかり食べていられないので、大衆食堂での食事がメインになってくる。
嬉しいことに一本裏通りに入れば、 このように小さな食堂がたくさんある。地元の人が利用するこのような店なら、安く美味しく食べることができる。この写真は、お馴染みの“注文に従う料理”の店。普通盛り20B(バーツ)、大盛り25B。
因みにこのとき食べたのは、豚肉バジル炒めのせご飯目玉焼き添え。
パタヤー、2001年。

2014年11月25日火曜日

2001年のパタヤービーチ


初めて行った1981年頃のパタヤーは、まだ海もきれいだった。寝転がって日光浴をする欧米人と、水遊びを楽しむタイ人。タイ人がTシャツを着たまま海に入っていくのには少し驚いた。たまにトップレスの白人女性などもいて、これにはもっと驚かされた。 通り過ぎた後にさりげなく振り返って見る、というのがトップレスの鑑賞テクニックのようだった。
経済発展とともに海は汚れていったが、浜辺の整備や下水道工事がされ、この2001年頃には、またきれいな海がよみがえってきていた。
パタヤー、2001年。

2014年11月24日月曜日

クンコーン滝


タイの滝は、一般的に落差の小さなものが多いのだが、このクンコーン滝はなかなか豪快で見応えがあった。乾季でこの水量なら、雨季はさぞ立派な景観になるのだろう。
場所は、チェンラーイ市街西側のチェンマイ門からずっと西へ行った所にある。
また、このときは夕方だったためか、他に見物する人は見当たらなかった。
チェンラーイ、2001年。

2014年11月23日日曜日

メーファールアン公園整備中


シーナカリン王太后の宮殿南側には、大規模な庭園の整備が進められていた。
花など鑑賞する機会の少ないタイ国民に、 広く世界の花を楽しんで欲しいとの願いが込められているのだ、という説明を聞いた。
メーファールアン庭園は、この後に公開されたが、その後も整備改修が繰り返され、現在はこの写真からは全く想像できないような姿になっている。
メーファールアン、2001年。

2014年11月22日土曜日

ドイトゥンパレス整備中


タイ北部を愛したシーナカリン王太后は、晩年ドイトゥンに宮殿を建て、そこで過ごすことを楽しみにいしていたという。
生誕100年を記念して、宮殿とその周辺の整備が進められていた。
メーファールアン、2001年。

2014年11月21日金曜日

王太后生誕100年


現プミポン国王の母親は、シーナカリンタラー=ボーロマラーチャチョンナニー王太后という名前らしい。1900年生まれなので、この前年2000年から、チェンラーイの街中では、生誕100年を祝うこのような立派な表示板があちこちに設置されていた。
王太后はタイ北部を愛し、頻繁に訪れていたことから、特にチェンラーイでは人気が高い。
チェンラーイ、2001年。

2014年11月20日木曜日

花・果物市場


チェンラーイバスターミナル近くにあるスリコーン市場は、日本人旅行者の間では花市場とか果物市場とか呼ばれた。道路沿いに花屋や果物屋が並んでいるからだろう。その他の売り場、日用品や食品などは、市場の中に入って行かないと見られない。
チェンラーイ、2001年。

2014年11月19日水曜日

ハウマッチおじさん現る


メーコックビラに日本人が僕しか滞在していなかったときに、そのおじさんはチェックインしてきた。
チェンラーイは初めてということで、いろいろ街の様子を訊かれたので、ひと通り説明すると、ちょっと遠慮勝ちに、
「あのぅ、夜の遊びはどんなもんでしょうか? つまり・・・女の子なんですけど」
更に話を聞くと、どうやらチェンラーイでは若い女の子と遊び放題だ、との情報をどこかで仕込まれてきたらしいことが窺えた。
時計塔近くに小さなバー街(チェンラーイパッポンとか呼ばれていた)があることを教えると、
「今夜行きましょう。ビールの1杯くらい奢りますから」
と誘われる羽目になった。
因みに、こういう店での遊び方は、店内でビールを頼み、好みの女の子にドリンクを奢り、デートを誘いかける、というシステムらしい。
このおじさん、そうとう気合が入っているようで、だいぶ早い時間の出撃とあいなった。そんなに焦っても…。案の定時間が早過ぎて、女の子はまだ外でお喋りに興じている。もちろん店内には、まだ客もいない。
気合十分のおじさんは、外に座っている一人の女の子の前に立ちはだかると、いきなり、
「How much?」
女の子は怪訝そうに、ドリンク代の説明をする。するとおじさんは、
「No. You, How much?」
いきなりストレートな誘いに、女の子もたじたじの様子。おじさん、そんな反応にも臆せず、たたみかけるように、
「You, How much?」
ああ、この後のことは、あまり思い出したくない。
チェンラーイ、2001年。

2014年11月18日火曜日

北タイ乾季のフルーツ屋


1月下旬、スリコーン市場で果物屋を覗いてみた。マンゴスチンやチョンブー、ミカン、ブドウ、リンゴなどが並んでいる。
最近は輸送網の拡充で地域差はほとんど見られなくなったが、この当時はまだ、ミカン、ブドウ、リンゴなどは、北タイだからこそ安く買える貴重品だった。
チェンラーイ、2001年。

2014年11月17日月曜日

ドイメーサロンの路上市場


中国正月元旦の日も、ドイメーサロンの路上市場は、いつもと変わらず営業されていた。とはいえ、客の方も少なく、いつもと変わらず閑散としている。
メーチャンからの乗り合い車は、この辺りに到着していた。
メーファールアン、2001年。

2014年11月16日日曜日

元旦を祝う村


ドイメーサロンの村でも、元旦を祝う踊りが賑やかに行われていた。
近隣の山岳民族も参加していて、ラフ族、アカ族、リス族の民族衣装が混在していた。
メーファールアン、2001年。

2014年11月15日土曜日

ドイメーサロンの移動式遊園地


中国正月に合わせて、ドイメーサロンにも移動式遊園地が設営されていた。場所は路上市場前の学校だ。
遊んでいる子供の数は多くないが、これでも賑わっているのだろう。
メーファールアン、2001年。

2014年11月14日金曜日

ドイメーサロンの中国正月


国民党残党の村として知られるドイメーサロンだが、ちょうど中国正月のときに居合わせたのは2001年のことだった。
チェンラーイ街中に比べると、割りと静かな元旦だった。赤いシャツを着た一団が、店や住宅を周って行く。一軒一軒入り口の前で、おそらく正月を祝う歌をコーラスし、ご祝儀を受け取る。そんな光景だけが印象に残っている。
メーファールアン、2001年。