2014年4月30日水曜日

中央市場の衣料品屋


プノンペンのセントラルマーケット内通路は、買い物客でごった返していて、売り場によっては息苦しくなるほどだった。
ここでは記念として、カンボジアの地図をデザインした2ドルのTシャツを買ってみた。残念ながら、数回の洗濯で糸が解れてしまい、使い物にならなくなってしまった。
プノンペン、1995年。

2014年4月29日火曜日

プノンペン中央市場


セントラルマーケットは、衣食住の殆ど全ての物が揃えられていた。
中央ドームでは、特に金の売買をする店が多く見掛けられた。当時のカンボジアでは、自国通貨より、金やドルのほうが、はるかに価値が高かったはずだ。
プノンペン、1995年。

2014年4月28日月曜日

公衆電話は遊び道具


プノンペンの街角には、やたらと公衆電話が目についた。しかも国際電話が掛けられるものばかりだ。UNTAC用に設置されたものが、そのまま取り残されていたのだろう。
利用する者が去った後は、子供たちの遊び道具になっていた。おそらくこの子たちは、外国人が電話を掛けている様を見ていて、それを真似しているに違いない。
プノンペン、1995年。

2014年4月27日日曜日

店番少女


プノンペンの街で目についたのは、店番をしている子供たちの姿だ。それも圧倒的に女の子が多かった。男の子の店番は、全くと言って良いほど見掛けなかった。
やはりこの国でも、女の子はしっかり者として育てられているのだろうか。
プノンペン、1995年。

2014年4月26日土曜日

ワローロット市場前


チェンマイの市場でも、ずいぶんたくさん写真を撮った憶えがあるが、1980年代のものは見つからなかった。かろうじて出てきたのが、1991年のこの写真だ。8月の、ワローロット市場東側を写したもの。
雨季は、商売も大変だろうと想像がつく。世の中のお金の循環も、さぞ滞ることだろう。
チェンマイ、1991年。

2014年4月25日金曜日

初代メーサーイ写真少女


一時期、メーサーイのボーダー付近で、観光客と一緒に写真に収まる仕事をする少女たちがいた。
当時、メーサーイへも毎年訪れていたが、初めて少女たちを見掛けたのが、この年1985年のことだった。そうしてみると、一時期と言っても、10年ほどは続いていたことになる。もちろんその間、少女たちは、現れては消え、何回も顔ぶれは替わっている。
写真は、おそらく初代の写真少女たちだ。
メーサーイ、1985年。

2014年4月24日木曜日

ナーン川もう一つの橋


ナーンの街中から東側に渡り、次の橋を目指して北上してみた。
蛇行した道をかなり進むと、やっと次の橋が見えてきた。表示には、「発展するナーン都の橋」と書かれている。
橋を渡ったところには病院があった。
ナーン、2014年。

2014年4月23日水曜日

ナーンの虎の子供たち


ナーン国立博物館の敷地に、幼稚園生の一団が来ていた。引率の先生に訊くと、ボーイ・ガールスカウトの実習で、遠足に来たとのこと。
タイ語では、ボーイ・ガールスカウトのことを「虎の子供」と呼ぶ。
ナーン、2014年。

2014年4月22日火曜日

プノンペンのゲーム屋


プノンペンの裏通りの一角は、ゲーム屋が集まっていた。
真っ昼間から子どもが遊んでいるので、学校はどうしたのか訊いてみると、小学校は2部制だから昼間でも遊べるのだ、という話だった。
プノンペン、1995年。

2014年4月21日月曜日

プノンペンの屋台食堂


プノンペンの裏通り、路上の一角がちょっとした屋台食堂街になっていた。
メニューは、おかずをのせたご飯や麺類。似たようなメニューはタイでいつも食べていたが、ここではちょっと遠慮しておいた。理由は簡単、美味しそうに見えなかったからだ。
プノンペン、1995年。

2014年4月20日日曜日

花をもつ少女


トンレサップ川の畔に、花をもった少女がいた。目が合うと近寄ってきて、「写真を撮ってくれ」と声を掛けてきた。
大した考えもなく1枚撮ると、すかさず右手を伸ばしてお金の請求だ。何のことはない、押し売りモデルだったのだ。そのために花をもっていたとは、なかなか営業熱心だ。
プノンペン、1995年。

2014年4月19日土曜日

トンレサップ川


プノンペンの街の東側に位置する、トンレサップ川に出掛けてみた。
上流には東南アジア最大の湖、トンレサップ湖が控えているだけに、川幅はとても広い。ちょうど雨季真っただ中とあって、水量も多かった。
川辺では子どもたちが水遊びをしている。
プノンペン、1995年。

2014年4月18日金曜日

ガソリンは計り売り


プノンペンでは、ガソリンも計り売りが主流だった。少量ずつ給油するには、こうしたほうが手っ取り早いのだろう。
タイでも地方に行くと、未だにこのようなガソリン屋を見掛けることがある。
プノンペン、1995年。

2014年4月17日木曜日

大富豪カラオケ


プノンペンで泊まったホテルの真ん前には、派手なネオンを輝かせる大きなカラオケ屋があった。看板には「大富豪カラオケ」と書かれていた。
夜になると、店の前には、割りと立派な乗用車が、ぎっしり駐車されていた。店の外には、入りきれずにあふれた若い女性がたむろしている。ほとんどが、ベトナムからの出稼ぎのようだった。
プノンペン、1995年。

2014年4月16日水曜日

飴はバラ売りされていた


プノンペンの雑貨屋では、バラ売りが目についた。お菓子や煙草、飴など、一つずつのばら売りだ。
庶民の経済力からしたら、バラ売りにしないと売れないのだろう。
プノンペン、1995年。

2014年4月15日火曜日

遊具の多い小学校


ナーンの街のほぼ中心、ワット・プーミン近くの小学校は、ちょうど放課後の時間だった。
この小学校、やたらと子どもたちが元気に遊んでいるので、立ち止まって見ると、遊具が実にたくさんあるのだ。
友だちと場所さえあれば、やっぱり子どもは身体を動かす遊びが好きなのだろう。
ナーン、2014年。

2014年4月14日月曜日

銀・織物祭りルークトゥンのステージ


ナーンで催された「銀・織物祭り」では、ルークトゥンのコンテストも行われていた。学校や地域団体が歌と踊りで競い合うのだが、各チームとも、美人をメインボーカルに、華やかな衣装を準備してと、趣向を凝らしていた。
写真は地元高校生のチームだ。
ナーン、2014年。

2014年4月13日日曜日

銀・織物祭りの食事場


ナーンで開催されていた「銀・織物祭り」では、広場の一角が食事場として用意されていた。
茣蓙を敷いただけの簡素なものだが、見物客は露店で買い求めた飲食物でミニ宴会を楽しむ。
ナーン、2014年。

2014年4月12日土曜日

ナーン博物館の展示写真より


ナーン国立博物館は、館内もなかなか充実していた。写真や展示物により、ナーンの歴史、文化、風習などが、ひと通り分かるようになっている。やたら展示物が多過ぎるということもなく、館内はすっきりしていた。
上の写真からは、当時の現地人の生活をうかがうことができる。
ナーン、2014年。

2014年4月11日金曜日

ナーン国立博物館


ワット・プーミンのすぐ北側は、ナーン国立博物館の敷地になっている。
建物は、1903年に建てられた地元領主の屋敷を、改装してつかっているそうだ。
入館料は100バーツ(約300円)だが、これは外国人料金だ。
ナーン、2014年。

2014年4月10日木曜日

銀・織物祭りのモデルたち


ナーン到着の日から開催された「銀・織物祭り」には、二晩続けて遊びに行くことになった。
織物コーナーでは、縫製された服を着飾ったモデルが、客の記念撮影に応じていた。何れのデザインも、(パーティーなどでは着れるかもしれないが)普段はちょっと着る機会もなさそうだ。
ナーン、2014年。

2014年4月9日水曜日

ナーンの朝市場


ナーンゲストハウスでもらった地図によると、夕方市場と朝市場は隣接しているようだった。
他の街同様、市場の外では路上でも露店が開かれている。場所代が安い分、客にとっても、こちらの方がお買い得になるのかもしれない。
ナーン、2014年。

2014年4月8日火曜日

銀・織物祭りにて


ナーンの銀・織物祭りでは、銀製品を売る露店が並んでいた。
ナーンはもともとモン族の街だったため、売り子の服装もモン族風のものになっている。
ナーン、2014年。

2014年4月7日月曜日

ナーンの銀・織物祭り


ナーンに到着した2月12日から、ワット・プーミン前の広場でお祭りが開催された。「銀と織物祭り」とされているから、銀と織物がおそらくナーン県の特産品なのだろう。
14日は万仏節と重なり、この期間中ナーンを訪れる人も多く、街中の宿は予約でいっぱいとのことだった。
ナーン、2014年。

2014年4月6日日曜日

市庁舎隣りの公園


ナーン市庁舎隣りは、大きな公園になっていた。
子どもの遊具、トレーニング器、遊歩道などがあり、きれいに整備されている。夕方、市民が集まり、それぞれ散歩や体操を楽しんでいた。
ナーン、2014年。

2014年4月5日土曜日

ナーンの夕方市場


ナーンゲストハウスでもらった地図の、EveningMarketと書かれている場所に出掛けてみた。場所はナーンゲストハウスを北に出て、ナーン川に向かう途中、交差点のすぐ近くだった。
売られている物には大して特徴はなかったが、売り手の穏やかな表情は際立っていた。こんな笑顔を目にしたとき、北タイの良さが沁みてくる。
ナーン、2014年。

2014年4月4日金曜日

美人コンテストのリハーサル


ワット・プーミンの前の広場では、この日から祭りが始まるようだった。
タイのお祭りの初日といえば、美人コンテストだ。夕方、コンテスト出場者によるリハーサルが行われている。このときは平服で、まだ表情や個性も見分けることができるのだが、本番になるとそうはいかない。同じような厚化粧で、同じように煌びやかな衣装を身につけてしまうからだ。
ナーン、2014年。

2014年4月3日木曜日

ワット・プーミン



ワット・プーミンは、市役所や博物館と、道路を隔てて隣り合っている。かつて1バーツ札のデザインに使われたそうで、四方だけでなく八方から見ても左右対称に見える美しい寺院だ。
ほぼ街の中心に位置するため、街歩きの度にこの寺院の前を通ることになった。
ナーン、2014年。

2014年4月2日水曜日

ナーンを流れるナーン川


ナーン川は、地図で見ると、ラオスとの国境付近から発しているようだ。ナーン県北部を源流とするからナーン川と呼ぶのだろう。
ナーンゲストハウスからは、東へ約1km、思ったほど川幅は広くない。ゆったりとした流れは、下流にあるシリキットダムに辿り着く。
ナーン、2014年。

2014年4月1日火曜日

ナーンの古い城壁


ナーンの旧市街城壁は、ナーンゲストハウスの北300mほどのところにあった。レンガを積み上げた、かなり立派な城壁で、いかにも頑丈そうに見える。
ナーンは、16世紀後半ビルマの支配により街は荒れ果て、その後整備されたのは19世紀になってからのことだという。
ナーン、2014年。