2016年5月31日火曜日

中国正月の獅子舞

中国正月の獅子舞

チェンラーイには中国系の人が多いので、中国正月は華やかに行われる。
中国寺院から出る獅子舞は、何日もかけて、中国系の商店を一軒一軒周って行く。
チェンラーイ、2010年。

2016年5月30日月曜日

タチレクのミルクティー

タチレクのミルクティー

タチレクの街を散策した後は、たいていこの店でミルクティーを飲む。
ボーダー前ロータリーの近くにある「Valentine」という店だ。この街では立派な店構えだが、大衆的なメニューで、地元の人でいつも賑わっている。
注文したのはミルクティーだけだが、温かいお茶が添えられてくる。ミルクティーは、底の方にミルクがたまっているので、掻き回さなければ飲み進むうちに甘くなってくる。そこを見計らってお茶を注ぎ足す。
皿のパンとお菓子は、テーブルにいつも置かれていて、良かったら食べて下さいというもの。いただけば、その分が勘定にのせられる仕組みだ。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月29日日曜日

タチレクバスターミナル

タチレクバスターミナル

アカ市場の手前には、タチレクバスターミナルがある。
敷地の中には、このようなワゴン車が停まっていて、貸し切りでの利用客を待っている。大型バスは、ターミナル前、アジアハイウェイの路上に停められていることが多い。
ここからチェントンへ行ってみたいと思いながら、未だ果たせずにいる。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月27日金曜日

タチレクアカ市場

タチレクアカ市場

タイ側メーサーイからノービザでタチレクに入国すると、ボーダーから5kmの範囲までの移動が認められているようだ。
アジアハイウェイを5kmほど行ったところにあるのが、このアカ市場だ。ここも地元の人御用達の市場で、傘の下では野菜果物、奥に見える建物では日用品が売られている。
ちょうどこのアカ市場を境に、この先は街並みが途絶え、いかにも郊外という景色に変わる。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月26日木曜日

タチレクバーンコーン市場

タチレクバーンコーン市場

タチレク国境前のロータリーから右手に進み、北側の路地を入ると、地元の人向けの市場がある。売られている物は野菜や果物。奥には屋根付きの売り場もあり、そちらでは雑貨衣料などの日用品の殆どが扱われている。
ある日、この露店で珍しい商品を見つけた。葉っぱに包まれた、野球ボールほどの大きさの物だ。葉には繊毛が生えていて、中身を訊くと豆だという。もしかしてと思い、ひとつ見せてもらうと案の定、それは納豆だった。5つほどあったので、それを全て買い込んだ。
味は日本の納豆と殆ど同じ。やや粘り気が足りないが、箸でこねているとよく糸を引くようになった。
チェンラーイに戻り、知り合いの日本人に配ると、とても喜んでくれた。
この市場、街の人は「バーンコーン市場」と呼んでいる。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月25日水曜日

道路工事前のタチレク


この数年後、国境から5kmほど、街のメイン通りとなるこの道で、大工事が始まった。道路の名称は、アジアハイウェイ2号線ということになり、整備を進める必要があったのだろう。
どのような工事になるかと見ていると、舗装道路の上にそのまま道路を重ねるように進められていった。よって、完成後は、道路が一段と高くなってしまっている。
誰が見ても、この2010年当時の道路の方が自然だ。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月24日火曜日

タチレクの黄金寺院

タチレクの黄金寺院

タイ・ビルマ橋からタチレクに入って、ロータリーを右手に行くと、直ぐに目につくのがこの黄金寺院だ。
地図上での名前は、Tachileik Shwedagon Pagoda という。
その昔タチレクを訪れた時には気がつかなかったので、ここ数年のうちにできたものと思われる。名前の先頭にタチレクとつくのは、ヤンゴンにも同名のお寺があるからだそうだ。
なかなか立派なお寺で、上からの眺めも良かったのだが、あいにくそのときの写真が見当たらない。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月23日月曜日

タチレクのロータリー


この年の2月9日、メーサーイからミャンマー国タチレクに出掛けた。
この国境が公式のものになって、タイから一度出国すると、再入国で30日の滞在許可が得られるのはとてもありがたかった。もちろんこれは2010年当時の状況で、2014年あたりからは、ここの出入国はとても厳しくなっている。
ミャンマー側入国管理を抜けると、いつも様々な人から大歓迎を受ける。現地人ガイド、タクシー運転手、なかには日本語を勉強したという日本人友だち募集中の人もいたりする。ただし彼らの勧誘はしつこくなく、首を振っていれば簡単に諦めてくれる。
その大歓迎の渦を抜けると、このロータリーに出会うのだ。
ミャンマー国タチレク、2010年。

2016年5月21日土曜日

タイ・ビルマ橋その後

タイ・ビルマ橋

メーサーイ国境のタイ・ビルマ橋の上から。
向かって右側がタイ側メーサーイ、左側がミャンマー側タチレクになる。ここは1983年からずっと、定点観察している場所だ。
年々両岸からの埋め立てが進み、この頃にはもう限界に達しているのが良く分かる。その結果、川幅が狭くなっているわけで、雨季には川が氾濫し、メーサーイ側は水浸しになってしまう。膝まで濡らしながら歩いたことが、何度あることか。
メーサーイ、2010年。

2016年5月20日金曜日

フエサイよりチェンコーンへ

フエサイのイミグレーション

ほぼ半日、自転車でフエサイを徘徊。宿泊は出費がかさむため、日帰りでタイに戻ることにした。
フエサイのイミグレーションは、川の側にある小さな三角屋根だった。係官はなんの愛想もなく、スタンプを押すと、パスポートを放り出してくれた。
物価がタイよりも高く、人の笑顔にも出会えない、少々残念なフエサイ滞在だった。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月19日木曜日

フエサイは日帰りで退散

フエサイの街

当初2〜3泊するつもりで来たフエサイだが、あまり魅力を感じるようなものはなかった。メコンを隔てただけなのに、気質もタイ人とはかなり異なって感じられ、話しかけた何人かもあまり愛想が良いとは思えなかった。
宿代も思いの外高くて、これは日帰りで退散するしかないと決心するに至る。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月18日水曜日

第4タイ・ラオス友好橋建設予定地

第4タイ・ラオス友好橋建設予定地

自転車を走らせて、第4友好橋建設予定地まで行ってみた。
フエサイの街からは、かなり南下した場所だった。タイ側の方から、川幅を狭くするような埋め立てが始まっているが、本格的な工事はまだまだ先のようだった。
第4タイ・ラオス友好橋が開通したのは、この約3年10ヶ月後の2013年12月11日のことだった。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月17日火曜日

フエサイの市場

フエサイの市場

フエサイ空港から大通りに戻る途中、小高い丘に市場があった。
売り場は、屋根のある部分と、傘の下にゴザを敷いた露店とに分かれていた。屋根付きの一角では日用品が並べられ、露店では野菜や果物などの農産物が置かれていた。
この市場から山地へ続く道は枝分かれしているようで、農作物などを持ち寄るにはちょうど交通の便が良い。もちろん道を下ればメコンに向かい、タイ同様、このような交通の要衝に市場がたつものだ。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月16日月曜日

フエサイにもカラオケがあった

フエサイのカラオケ

フエサイ空港から大通りに戻る途中、カラオケ屋を発見した。このときは閉まっていたので、休業だったのか、或いは夕方からの営業なのか。街中からは離れているので、現地の人が利用する店なのかもしれない。
漢字表記はどこの国でも共通しているのだろうか。上下拉致OKなどと判読した酔狂な者がいた。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月14日土曜日

フエサイの食堂は高かった

フエサイの食堂

自転車を走らせていると、客で賑わっている食堂を見つけた。知らない土地で外れない食事にありつくには、地元民で流行っている食堂を探すのが早い。そろそろ昼食どき、この店で食べることにした。
メニューには、ご飯ものと麺類がいくつか書かれている。その中で一番上に書かれていたチャーハンを注文する。メニューの先頭には、その店の看板メニューをおくことが多いからだ。
使われている調味料がタイと異なるためか、色はちょっと黒っぽく、味もチェンラーイあたりで食べるチャーハンとは違っている。
そして値段のほうは、何と30バーツもした。当時、チェンラーイの市場食堂では、チャーハンは20バーツが相場。その1.5倍はかなり高い。30バーツなら、大盛りにして、さらに目玉焼きをトッピングできる値段だ。
別にボラれているわけではなく、地元の人も、換算すると同様な金額を払っていた。
後で知ったことだが、宿代にしろ食事代にしろ、この街の相場は、タイよりも少々高いらしい。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月13日金曜日

フエサイ空港の波打つ滑走路

フエサイ空港

フエサイの街から自転車で先ず向かったのは、フエサイ空港だ。別に飛行機に乗るためでも、フライトの予約を入れるためでもない。この空港の滑走路を見たかったのだ。
実はチェンラーイで、知人から、
「フエサイ空港の滑走路は波打っている」
と聞いていたので、それをこの目で確かめてみたかったのだ。
空港の滑走路といえば、平坦で真っ直ぐなものと思っていたが、そうでない波打つ滑走路が存在するなど、実に興味深いことではないか。もし空港内に立ち入ることができたら、自分の自転車で、その波打ち具合を体感してみたいものだ。
外から様子を伺うと、誰もいないようだし、もちろん飛行機の発着予定などなさそうだ。おそるおそる自転車で近づいていくと、奥から空港職員らしき人物が現れた。何の愛想もなく追い払われ、残念ながら遠見からの滑走路見物と相成った。
ちょっと分かりにくいが、確かに左端のほうが波打っているのが確認できる。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月12日木曜日

欧米人の自転車乗りが走る

フエサイの街

フエサイの船着き場から、右手にメコン河を眺めながら、自転車で大通りを南へ向かった。
すぐ前を欧米人のカップルが、自転車を走らせている。荷物の量からみて、ツーリングで旅をしているのだろう。
こちらもゆっくり走っているのだが、しばらくすると追いつき追い抜いてしまった。軽く手を上げて挨拶すると、笑顔で応えてくれた。
ラオス国フエサイ。2010年。

2016年5月11日水曜日

フエサイの寺院

フエサイの寺院

ラオス側のボーダーから街に入ると、まず目に入るのが、お寺に上がるこの階段だ。その名称は、表記の通りに読むと、「ワット・チョームカオ・マニラット」という寺院らしい。
そこそこ立派な寺院だったが、あいにく写真が残っていない。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月10日火曜日

フエサイの船着き場

フエサイの船着き場

タイ側チェンコーンからは、渡し船で僅かの時間だった。メコンは大河というイメージだが、船で渡ればこんなものかと、呆気ないほどのものだ。
船代は50バーツ。客が集まればどんどん出るが、逆にちっとも客が来ないと、いつまでも待たされることになる。
この後、自転車で、ラオス側のイミグレに向かう。
ラオス国フエサイ、2010年。

2016年5月9日月曜日

チェンコーンの船着き場

チェンコンの船着き場

チェンコーンのバス停車場から船着き場までは、少々距離がある。健脚な人は何でもなく歩ける距離だが、普通の観光客はソンテオで移動する。
この日は折り畳み自転車持参なので、その自転車を走らせてここまで来た。
この数年後にタイ側とラオス側を結ぶ第4友好橋が開通され、外国人の両国間の行き来は橋を渡るようになってしまった。今となっては、この船着き場を訪れる外国人の姿も、もうないのではないだろうか。
チェンコーン、2010年。

2016年5月8日日曜日

チェンラーイからチェンコーンへ

北タイのバス

2010年1月26日、チェンラーイからチェンコーンへ向かった。画像の手前に少し写り込んでいるが、折り畳み自転車をもって、ラオス側フエサイをポタリングしてやろうという魂胆からだ。
バス代は65バーツ。ちょうど道路工事中で、最後尾の座席は埃っぽくて参った。
チェンコーン、2010年。

2016年5月7日土曜日

パヤメンラーイ郡の看板娘

パヤメンラーイ郡の看板娘

この年にチェンラーイ市内で建造されていた橋の名称は、パヤメンラーイ橋ということだった。それにちなんで、メンラーイ王祭り会場でも、パヤメンラーイ郡のブースを覗いてみた。
展示されていた内容は忘れてしまったが、モン族の衣装を着た看板娘の笑顔だけはしっかり記憶している。
チェンラーイ、2010年。

2016年5月6日金曜日

メンラーイ王祭り会場を見渡す

メンラーイ王祭り会場

展望台があったので、会場全体を見渡してみた。
以前、メンラーイ王祭りは、街の東郊外にある陸上競技場で行われていた。それが旧空港跡地に会場が移されて、街中からのアクセスが格段に良くなった。
この年あたりを境目に、遊びに来る客も増えていったように感じる。
チェンラーイ、2010年。

2016年5月2日月曜日

メンラーイ王祭り開催初日

メンラーイ王祭り

メンラーイ王祭りは毎年1月26日に開催される。これは、メンラーイ王がチェンラーイの街を拓いたのが1月26日と伝えられているからだ。
初日、地元小学生も、先生に引率されて見学に訪れていた。
チェンラーイ、2010年。

2016年5月1日日曜日

タイ高床式の木造住宅


チェンラーイ市街からウィアンチャイへ行く途中で見かけたタイ古式住宅。
高床式の上が寝室・居間になっている。こうすることで雨季の洪水被害から逃れることができる。
階下にも居間があるが、こちらは吹き抜け式オープンスペースになっている。そのおかげで実に風通しが良い。
北タイの暑季は厳しい。最高40度を超えることも当たり前の暑さだ。そんなとき階下にいれば、陽射しは避けることができるし、吹き抜ける風で結構快適に過ごすことができる。
家の持ち主にも話を聞けたが、
「建てて3年。この家にして良かった。実に住み心地が良いよ」
と語ってくれた。
チェンラーイ、2010年。