2014年6月21日土曜日

たぶん着くパキスタン航空


タイに行き始めた1980年頃は、日本人バックパッカー向けガイドブックの類いは、まだどこからも出版されていなかった。
今のように、インターネットで情報漬けにされてしまうのも旅の楽しみが半減してしまうと思うが、全く情報がないというのも心細い限り。やはり街歩きの地図とか、宿の相場くらいは知っておきたいものだ。

そんな折り、1982年11月に出版されたのがこの本“宝島スーパーガイド・アジア・タイ”だ。目的地への移動方法、街の地図、宿の値段などの情報があり、後の“地球の歩き方・タイ編(1987年刊)”の原型になっているとも言える。
この本の裏表紙には、バックパッカー御用達の航空会社として有 名だったパキスタン航空の広告が載っている。
翌1983年、ビザを取って長期の旅をしたときも、このパキスタン航空をつかった。バンコク往復で71000円也。

このパキスタン航空、安いだけにトラブルも多い飛行機として有名だった。遅れることなど当たり前。下手すれば、フライトキャンセルなんていう離れ業もありだった。
航空会社を3文字のアルファベットで呼ぶときがある。日本航空ならJapan Airlinesを略してJAL。全日空ならAll Nippon Airwaysを略してANA。パキスタン航空PIAは、本当はPakistan International Airlinesの略。ところが、PIAとは、Perhaps I Arrive「たぶん着くだろう」の省略ではないかと、旅人の間で揶揄されたものだ。

とにかく安いので、その後も何度かパキスタン航空に乗ったが、思い出す最大のトラブルは1980年代半ばのことだ。マニラからバンコクに向かうパキスタ ン航空で、僕の席は後方の窓側。夜のフライトは、ブラインドを下ろして飛ぶ。夜空でも見ようと、ブラインドを上げてびっくり。エンジンから炎が噴き出ているではないか。慌てて乗務員を呼び、窓の外を指さした。でっぷりとしたスチュワーデスは、「ブラインドを下げろ、誰にも言うな」というように、口を閉ざすジェスチャーをして立ち去ってしまった。
このときばかりは、“たぶん”でも何でもいいから無事着いてくれと、アラーの神に祈ったものだ。