2014年12月17日水曜日

幼稚園児の送迎


2004年の一時期、知人(タイ人)家族に頼まれて、その家の娘さんの幼稚園送迎を頼まれた。
初日に学校に迎えに行くと、厳めしい顔をした女性教師が、児童の送り出しを担当していた。彼女は、初めて見る日本人らしき男に警戒したのか、ちょっと強張った言い方で、「身分証明書を見せて、ここにサインをして・・・」と事務的な手続きを要求した。
帰ってから知人家族にその様子を話すと、「人さらいが多いから」。
顔を覚えてくれてからは教師の表情も和らぎ、むしろ親しげに話しかけられるようになって、世間話の相手までさせられたりした。
写真は朝の会に向かう児童たち。上級生の指導で整列させられる。
チェンラーイ、2004年。

2014年12月16日火曜日

ドイインタノンのリス族村の朝


朝は霧がでて、視界はほとんど利かない。
「こんなところまで来てくれてありがとう」
「こんな素晴らしいところに連れてきてくれて、本当にありがとう」
本心だった。
電気もガスも水道もない。畑で作物を作り、豚を殺し、飼っている鶏やその卵を食べる。
自然のなかで生きる、人間の本来の姿を垣間見ることができたことに感謝したのだ。
この日の朝、タイ最高峰ドイインタノンの最高地に位置するリス族村を後にした。
メーチェム、2004年。

2014年12月15日月曜日

蝋燭の下で遊ぶ


夜は、焚き火を囲むように人が集まっていた。空の星は、とても近くに感じられた。井戸端会議ならぬ火の端会議は、焚き火が燃え尽きると散会になった。
寒い山で水浴びは辛いだろうと、知人家族は焚き火で大鍋に湯を沸かしてくれた。その温かさは、身体にも心にも沁みた。
電気のない村の子供たちには、テレビもゲームもない。それでも、蝋燭の火の下、追いかけっこやかくれんぼをして、楽しそうに遊んでいた。
メーチェム、2004年。

2014年12月14日日曜日

リス族衣装を着た少女


ドイインタノンのリス族村では、大人たちは街で普通に見掛ける洋服を身に着けていたが、子供たちは民族衣装を着ている子が多かった。
リス族の民族衣装は、色づかいがとても綺麗に見える。
電気のないこの村には、もちろんテレビもなく、「日本人だ」などと言っても、キョトンとされるだけだった。
メーチェム、2004年。

2014年12月13日土曜日

村には鶏と豚ばかり


ドイインタノン山中のリス族村では、豚と鶏ばかりが飼われていた。食を支えてくれる動物しかいないようだった。
村を訪れた晩、豚を一匹潰して解体してくれた。そのときはものすごい悲鳴が響き渡り、仲間が殺された豚たちは、いったん山に逃げ込んで姿を消してしまった。
ところが翌日には、何もなかったかのように、村に戻って来ていた。
メーチェム、2004年。

2014年12月12日金曜日

最高地にあるリス族村


この辺り、他にも山岳民族の村はたくさんあるのだが、このリス族の村が一番高所に位置するという。最後に移住してきたため、一番奥まった所にしか村を拓くことができなかったそうだ。
もちろん電気は通じていないのだが、このことを聞いていたおかげで助かったことがある。
実は、この村に着く直前、前後して走っていたソンテオとはぐれてしまったのだ。道は二手に分かれている。どちらの道も、村への入り口になっている。さてどちらの村か? 
左の道には電線があるが、右手には電線がない。電線がない方、右手に行ったら見事正解、目指す村に無事着くことができた。
メーチェム、2004年。

2014年12月11日木曜日

ドイインタノンのリス族の村へ


チェンマイに住む知人が里帰りするからと言うので、誘われるままに同行したのは、タイ最高峰の山ドイインタノンの山中にあるリス族の村だった。
「場所はメーチェム。大した距離ではないよ」
「じゃあ、昼頃に出ようか」
「いやそれはちょっと・・・なるべく朝早く出た方が良い」
大した距離でないと言うのに、どういうことだろうかと思いながらも、朝10時にドリーム125でチェンマイの街を出発した。
知人の家族も同行したので、彼らが乗ったソンテオと前後するようにバイクを走らせた。チェンマイ郊外の街メーリムを西に入ってからが大変だった。途中いろいろな村に立ち寄りながら行くため、山また山の連続、道はもちろん未舗装だ。
メーチェムといっても、標高2590mのドイインタノンを,、かなり上がった所に目指す村はあった。途中ガス欠もあり、到着したのは陽が落ちてから。約9時間の道程となり、十分に大した距離だった。
知人は、本当のことを話して同行を躊躇されることを危惧したのだ、と明かしてくれた。
写真は知人の家。親が村長ということで、 村の中でも際立って立派な建物になっている。
メーチェム、2004年。

2014年12月9日火曜日

ドンサオ村にて


2004年1月に、チェンセーンから船で上陸したドンサオ村は、一応ラオス国に属する。
手許には縮小した画像しか残っていないので、国旗と村の表示、観光客と一緒に写真に収まるラオスの子供たちの、2枚の画像を連結してみた。
ドンサオ村、2004年。

2014年12月8日月曜日

ラオス国ドンサオ村へ


2004年1月、チェンセーンから対岸の、ラオス国ドンサオ村に上陸。
タイ側からは、20バーツ払えばビザなしで上陸でき、一応ラオスに一時入国することができた。もちろんこの村からは出られないが、ラオスの酒や織物、いろいろな土産物もあり、雰囲気だけは味わうことができる。
村の名前に使われている“サオ”は北タイ語で“20”を意味し、居合わせたタイ人は「なるほど、20バーツ払うから“ドンサオ”か」と言っていた。本当の名前の由来は知らない。
ゴールデントライアングル、2004年。

2014年12月7日日曜日

カジノホテルができていた


2004年1月、チェンセーンから、ゴールデントライアングルまでのボートツアーに乗ってみた。
立派な建物が目についたが、これはミャンマー側のカジノホテルで、ここで遊ぶには、タイ出国ミャンマー入国手続きが必要になるとのことだった。
ここに遊びに行った知人がいたが、彼は滞在予定を短縮して、すぐに日本へ帰国してしまった。
ゴールデントライアングル、2004年。

2014年12月6日土曜日

チェンラーイ山岳民族村の首長族


建設中のチェンラーイ山岳民族村には、首長族も一家族暮らしていた。
聞いてみると、タイではなく隣国ミャンマーから移住してきたという。
「重くないですか?」と訊くと、「やはり重いです」。
首が長いほど美人とされるが、美人になるのもなかなか大変なものだ。
チェンラーイ、2004年。

2014年12月5日金曜日

アカ族のブランコ


チェンラーイ山岳民族村には、アカ族のブランコも用意されていた。
アカ族のブランコ祭りも、最近では良く知られるようになった。この儀式の意味には二説あるようだ。一つは、身体を揺することによって悪霊を追い払うという説。もう一つは、風に揺れる稲穂を真似て豊作を祈るというものだ。
チェンラーイ、2004年。

2014年12月4日木曜日

チェンラーイ山岳民族村のアカ族


チェンラーイの空港近くに、山岳民族村が建設中ということで出掛けてみた。
完成すると、アカ族、ラフ族、ヤオ族、首長カレン族などが点在して暮らす、山岳民族公園風の施設になるという。2004年1月時には、まだ開園前と言うことで、無料で見物することができた。
園内には、山からひと足先に移住してきた人たちが、生活を始めていた。彼らは、ここでは住居を提供されるだけで、現金収入は観光客からのチップになるのだろうと話してくれた。
写真はアカ族の人たち。悪霊から守るために被る帽子が特徴的だ。
チェンラーイ、2004年。

2014年12月3日水曜日

ゾウも現金が好き


メーサー・エレファント・キャンプでは、サトウキビやバナナが、ゾウの餌として売られている。ゾウたちは、鼻を伸ばして器用にそれを受け取る。
サトウキビもバナナも、同じように喜ばれているようだが、20バーツ札など出したりすると、そちらを優先して取ろうとする。
食べ物よりも、現金のほうが好きなようだ。
メーリム、2003年。

2014年12月2日火曜日

メーサー・エレファント・キャンプへ


2003年には、日本からのお客さんを案内して、メーサー・エレファント・キャンプへ遊びに行った。
ここは、チェンマイ市街から車で30分ほどの、ちょうど手ごろな場所に位置している。
ゾウ使いで思い出すのは、2005年に公開された「星になった少年」という映画だ。映画では、ゾウ使いを目指す日本の少年が、タイのゾウ訓練センターで修行する場面も出てくる。「星になった少年」は、DVDで、タイ人の知人と一緒に観たが、訓練センターの仲間からの仕打ちには、一様に首を傾げていた。
メーリム、2003年。