2015年12月23日水曜日

歩行者天国のラムウォン


チェンラーイ土曜日に開催される歩行者天国は、刑務所跡地公園の辺りが一番賑わっていた。それは、飲食屋台が並び椅子とテーブルが用意されているためだが、もう一つ、広場でラム・ウォンと呼ばれるタイ風フォークダンスが踊られるせいもある。
このラム・ウォンは、サンバ、マンボ、チャチャチャなど、ラテン系のリズムに乗って、簡単な振り付けで輪になって踊るものだ。
食事用のテーブルは、ちょうどこの踊りを取り囲むように配置されていて、興が乗った人たちは、次々に踊りの輪に加わっていく。
チェンラーイ、2010年。

2015年12月21日月曜日

チェンラーイ歩行者天国始まる


この年の1月、チェンラーイを訪れてみると、歩行者天国が開かれていた。
場所はタナイ通り、第1公設市場南口辺りから煙草工場まで。毎週土曜日の夕方からとなっている。
地元ではタノン・コンドゥーン(歩く人の道)と呼ばれている。日本では、このような場所を「歩く人の天国」と呼ぶと教えたら、皆怪訝な顔をしていた。
チェンラーイ、2010年。

2015年12月17日木曜日

SUSHIブーム


チェンラーイナイトバザールにも、寿司を扱う店が何軒か出ていた。
日本の寿司とはまた違った感覚で食べないといけないようなシロモノだが、「つなみ」というこの店は、シャリに酢飯を使っていてなかなか美味しかった。
チェンラーイ、2010年。

2015年12月13日日曜日

ドークギウ(ギウの花)の蕊


北タイ名物のスープ麺、ナムギアオは豚や牛の血で出汁をとる。その血の臭みを抜くのに、このギウの花の蕊が使われる。
ギウの花は、チェンラーイでは、チェンラーイビーチ(パタヤノイ)周辺で多く栽培されている。
花弁を捨てて、蕊だけをこのように日干しにして、市場などに流通される。
チェンラーイ、2010年。

2015年12月11日金曜日

移転された旧時計塔


かつて街のシンボルタワー的存在だったチェンラーイの時計塔が、金ピカの新時計塔に取って代わられた。
旧時計塔は、お役御免で廃棄されてしまうのではないかと案じていたが、幸いそんなことにはならず、移設されて健在となった。場所は元の所から200メートルほど北側。ありがたいことに夕方市場の真ん前の場所だ。
長年チェンラーイの街を見守ってきた時計塔にとっては、繁華街より、市場正面の今の場所の方が、居心地が良いかもしれない。
チェンラーイ、2010年。

2015年12月7日月曜日

ワットロンクンの完成は


チェンラーイ県ロンクン(濁った水路という意味)地区に、ワットロンクンという白いお寺が建設され、国内外の観光客で賑わうほどの名所となった。
度々足を運ぶうち、少し調べてみようと思いたち、TOTチェンラーイで資料を貰ってきた。タイ語で書かれたパンフレットを訳していると、「…完成までには60年を要する…」という一節が気になった。
造っているチャルムチャイ先生(地元では先生と呼ばれている)は1955年生まれだから、着工の1997年から数えたとしても完成は2057年、さて先生は元気でいられるだろうか、という素朴な疑問がわいてくる。
そこでTOTチェンラーイオフィスに出かけ、その点について質問してみた。資料を見せて尋ねてみると、
「確かに60年は長く、先生もおそらく健在ではないでしょう。先生の意志はその弟子たちに受け継がれ、60年を目処に完成に至るという意味なのです」
と、明解な答えを得ることができた。
また、最終的には九つ(9は縁起の良い数字とされる)のエリアに拡がり、ちょうど暦の一周りする60年を区切りにしているが、あくまで予定であるという。
そして建造資金としては、私財を投じるとともに寄付金も受け付けているが、それには最高限度額を設定しているという。これは、一部の有力者から多額の資金を受けるより、少額でもなるべくたくさんの人の協力に応えたいとの、チャルムチャイ先生の希望によるそうだ。
チェンラーイ、2006年。

2015年6月17日水曜日

チェンラーイ市内巡回観光バスのルート


チェンラーイ市内巡回観光バス(無料)のルートは、図のように表示されている。
各ポイントでは見物時間も設定されているので、ひと通り市内の見どころ周ってみるには便利だ。
チェンラーイ、2010年。

2015年6月15日月曜日

チェンラーイ市内巡回観光バス


この前年、2009年から、チェンラーイ市内の観光名所を巡回する観光バスが運行を始めた。
出発点はメンラーイ王像前。市内を周って出発点に戻ってくるが、どこから乗っても、途中で下りてしまうも自由とのことだ。しかも無料なので、タイ人観光客が良く利用している。
チェンラーイ、2010年。

2015年6月13日土曜日

チェンラーイの金ピカ時計塔


数年がかりで工事が行われていたチェンラーイ時計塔が完成したのは2008年のことだった。
ずいぶん煌びやかで凝ったデザインに驚かされたが、白いお寺ワット・ロンクンのチャルムチャイ氏の作と知り、なるほどと納得したものだ。
チェンラーイ、2010年。

2015年6月11日木曜日

ルンピニー公園のミズオオトカゲ


久し振りにルンピニー公園を訪れてみたら、池にワニのようなものがたくさんいるのに驚いた。大きいものでは2メートルを超えていそうだ。
後で調べたら、ミズオオトカゲという種名のようだ。
居合わせたタイ人に聞くと、
「魚や亀を食べている」
「人を襲うことはない」
「池の底はトンネルで繋がっているので、あちこち移動できる」
しかし、この形相と大きな口を見ていると、本当に人を襲うことはないのかと不安になってくる。
バンコク、2010年。

2015年6月9日火曜日

年が明けてもクリスマス


マーブンクロンセンターのクリスマス飾りは、年が明けてもしばらくはそのままになっている。このあたり、12月26日には綺麗さっぱり片付けられてしまう日本とは感覚が異なる。
せっかく飾り付けたのだから、もうしばらく楽しんでもらおうという意図なのか、それとも単に先送りしているだけなのかは知らない。
バンコク、2010年。

2015年6月7日日曜日

エラワンの祠の前で


エラワンの祠の前を通りかかると、手を合わせることが習慣になっている。理由については、以前、別名のブログに掲載した一文を転載しておく。

ある日大丸デパートの帰り道に通りかかると、花売りが花を押し付けお参りするように勧めます。疲れてぼんやりしていた僕は、何も考えずに花を受け取り、お参りを済ませました。「しまった」と気付いた時にはもう遅く、売り子から100バーツを請求されてしまいました。交渉の結果、50バーツほどで済んだのですが、苦い思い出となってしまいました。
しかしここでの失敗に懲りて、その後は金銭の支払いには一層気を付けるようになり、おかげでトラブルに遭遇した記憶は殆どありません。祠にお参りしたおかげで、大きな失敗を回避できたとしたら、僕にもご利益があったと言えそうです。今でもこの前を通りかかると、当時のことを思い出し、手を合わせることにしています。
バンコク、2010年。

2015年6月5日金曜日

バンコク中央駅構内


バンコク中央駅構内はがらんとしている。空間が多過ぎて勿体ないくらいだが、今はベンチがもっと増えている。
バンコク、2010年。

2015年6月3日水曜日

寸詰まりになったステーションホテル


1980年代に、バンコクでの定宿としていたステーションホテル(集成大旅社)が、ずいぶん寸詰まりの外観になっていた。建物の南側部分が、地下鉄工事のために取り壊されて縮小されていたのだ。
それでも再塗装などされて、以前よりもずいぶん小奇麗な外観になっている。
改築後、宿泊はしていないので、部屋がどうなっているかは知らない。
バンコク、2010年。

2015年6月1日月曜日

バンコク中央駅へ


この年2010年以降の写真は、それ以前に比べるとたくさん保存されている。なぜなら、前年2009年から、カメラをフィルムからデジタルに替えたからだ。以前にプリントした写真は、アルバムごと失くしてしまったが、2010年以降の画像は、HDDに保存されている。
デジカメは、いくら撮ってもフィルム代・現像代が掛かるわけではないので、普段は素通りのバンコクでもあちこち歩き回って、手に入れたデジカメを試してみた。
フアランポーン駅前も、当時は、まだ地下鉄工事の着工はされていなかったと思う。
バンコク、2010年。

2015年5月30日土曜日

スワンナプーム空港からの足は


2006年9月28日に全面開港したスワンナプーム空港だが、以前のドンムアン空港よりもだいぶ遠くなってしまった。
問題は街中へ出る足だ。ドンムアンなら、すぐ前の国道に出れば路線バスは走っているし、それを越せば鉄道も利用できる。
スワンナプームではどうするか・・・お金を気にしなければタクシーで街中へ出れば済むことだが、 節約旅の場合なるべくならタクシー移動は回避したい。
2010年頃はどうしていたかというと、空港内循環バスで空港バスターミナルまで移動。そこから市バスに乗って、街中へ行くことが多かった。
もちろん今は、エアポートリンクを利用している。
バンコク、2010年。

2015年5月28日木曜日

新時計塔が完成した


チェンラーイ旧市街のほぼ中心にある時計塔は、昔から街のシンボルと言われている。この街を訪れた人なら、誰しも目にしていることだろう。
この時計塔、昔はとても簡素なものだったのが、 2008年に、ずいぶん煌びやかな新しい時計塔が完成した。夜は決まった時間に、ライトアップのミニショーが繰り広げられる。
チェンラーイ、2009年。

2015年5月26日火曜日

プラー・ブックがいた


チェンマイ水族館では、見ものはやはりプラーブック(メコンオオナマズ)だった。最大で3メートル300キロにまで成長すると言われる巨大ナマズだ。
ここには(当時)2匹いたが、まだ1メートルほどの小物だった。
チェンマイ、2009年。

2015年5月24日日曜日

世界最長のドーム型水槽


チェンマイ水族館のドーム部の長さ133メートルというのは、世界最長(当時)と聞いた。ベルトコンベアーにのって進んで行く。
チェンマイ、2009年。

2015年5月22日金曜日

チェンマイ水族館へ


2009年1月、まだオープンしたばかりのチェンマイ水族館に出掛けてみた。
このときの入場料は、大人一人外国人だと400バーツ、タイ人だと220バーツだった。
町の北西、ドイステープに向かう途中左側、チェンマイ動物園の中にある。
チェンマイ、2009年。

2015年5月20日水曜日

無農薬(低農薬)野菜ブーム


2000年代に入り、タイも経済的に豊かになってきたせいか、健康志向がブームとなった。
広場では夕方になるとエアロビクスが行われ、イベント会場には無農薬(低農薬)野菜の販売コーナーが目立つようになった。
写真はメンラーイ王祭り会場にて。
チェンラーイ、2008年。

2015年5月18日月曜日

バナナ直売所


チェンラーイを流れるコック川の北側には、バナナ園が広がっていた。ところどころに直売所が設けられていて、通りかかった車がバナナを買い求めていた。
一房10~20バーツとキリの良い値段が付けられているが、街中で買うよりは5バーツほど安くなっているようだ。
チェンラーイ、2008年。

2015年5月16日土曜日

メンラーイ王祭り会場は旧空港跡地に定着


前年2006年に、旧空港跡地に移転されたメンラーイ王祭り会場は、翌年も同じ場所で開催された。
メーサーイ郡は、特産のワインをブースの前で展示即売している。材料の果実は、ブドウ、イチゴ、ラムヤイ、リンチーなど、様々だ。
このときは、イチゴとリンチーを買ってみた。「 2本買うから」と値下げ交渉をすると、あっけなく2本で150バーツで良いと言われた。
チェンラーイ、2007年。

2015年5月14日木曜日

マッサージ学校修了式


ナムラット村にある役所の施設で、短期集中のマッサージ学校が開設された。
2週間で修了だが、タイ語と英語の修了証が発行され、これがあればマッサージ師として働くこともできる。公設のコースのため費用も格安で、僅か60バーツと聞いた。
写真は卒業式の日に。
チェンラーイ、2006年。

2015年5月12日火曜日

プラー・ブックの置物があった


メンラーイ王祭りでは、チェンラーイ県の各郡がブースを出し、それぞれの特産品や郡のシンボルが展示される。
ここチェンコーン郡は、メコンオオナマズ(プラー・ブック)の置物が展示されていた。最大3mにもなると言われる大物だけに、この張りぼてもかなり大きなものに作られている。
チェンラーイ、2006年。

2015年5月10日日曜日

メンラーイ王祭り会場が旧空港跡地に


1月26日は、メンラーイ王がチェンラーイ都を拓いた日とされている。そこで毎年1月26日から、チェンラーイではメンラーイ王祭りが開催されることになっている。
この祭りの会場が、この年から旧空港跡地に変更となった。前年までは郊外の陸上競技場だったのだが、それよりは街中に近くなり、ずいぶんと便利になった。
写真はメーサーイ郡のブースだ。奥に、特産品のワインが置かれている。
チェンラーイ、2006年。

2015年5月5日火曜日

ワット・ロンクン建造中


チェンラーイ郊外に珍しいお寺が造られていると噂を聞き、ドイメーサロンの帰りにレンタカーで立ち寄ってみた。
華やかな色彩のお寺が多いタイでは、このようにモノトーンのお寺は確かに珍しい。しかも真っ白だ。
このときはまだ建造中で一般には公開されていなかったが、地元の芸術家が造っているというこのワット・ロンクンというお寺は、後年チェンラーイでも有名な観光地になる。
チェンラーイ、2006年。

2015年5月3日日曜日

ドイメーサロンの茶摘み


日本からの知人がチェンラーイに遊びに来たので、昨年に続いてドイメーサロンにレンタカーで出掛けてみた。
昨年も訪れたお茶即売店によると、直営の茶畑でちょうど茶摘みが行われていた。作業員は、独特の被り物から、アカ族の人と分かる。
メーファールアン、2006年。

2015年5月1日金曜日

よみがえった森林


ドイトゥン・ロイヤルビラのテラスより。
焼畑農業で破壊されていた森林とは思えないほど、立派によみがえっている。
メーファールアン、2005年。

2015年4月29日水曜日

メーチャンのパイナップル売り


レンタカーでチェンラーイに戻る途中、メーチャンのパイナップルを味わうことにした。
道端でのフルーツ直売は、メーサーイのイチゴが有名だが、ここ数年、メーチャンでもパイナップルの直売所が目につくようになってきた。
すぐ裏手がパイナップル畑になっていたりして、いかにも直売所という感じがする。またこういう店では、頼むとパイナップルジャムを分けてくれたりもする。手作りのジャムは見掛けは悪いが、自然のパイナップルの美味しさが、濃厚に詰まっている。もちろん格安でもある。
メーチャン、2005年。

2015年4月27日月曜日

交差点に立つ市


ドイメーサロンの山道には、いくつか交差点があるが、そこでは市が立っていた。
なるほど一本道の路上より、道の交わる場所の方が、物を持ち寄るには便が良いだろう。昔の北タイは、こんな風にして人が集まり、人の集まる所に街が拓けて行ったのだろう。
メーファールアン、2005年。

2015年4月25日土曜日

お茶直売店にて


店内にはお茶づくりの工程が、写真で展示されていた。
栽培は、地元の山岳民族の人がやっているそうで、一番多いのはアカ族と教えられた。
メーファールアン、2005年。

2015年4月23日木曜日

お茶の試飲


店内では、何種類かのお茶を試飲させてくれた。愛想の良い売り子は、飲み方の作法やらをいろいろ説明してくれた。
最初に注ぐお湯は茶葉を洗い流すため、飲まずに捨てること。そして先ず香りを楽しみ、その後にじっくりと味わう。茶葉は入れ替えることなく、繰り返し何度か飲むことができる。
茶袋の上部が長くなっているのは、折り畳んで湿気を防ぐためとのこと。また、袋は台湾から送られてくる。その袋にこの工場で茶葉を詰めて、出来上がった製品がまた台湾に送られるそうだ。
同行の友人2人は、土産用に烏龍茶を大量に買い込んでいた。
メーファールアン、2005年。

2015年4月21日火曜日

ドイメーサロンのお茶工場


ドイメーサロンでは、お茶の工場直売店に立ち寄った。
メーチャンから登って行くルートだと、町の手前に見える大きな施設がそれだ。庭やエントランスがいかにもそれらしく整備されていて、駐車場も広く用意されていた。
メーファールアン、2005年。

2015年4月19日日曜日

田舎道が大渋滞


ドイトゥン・パレスからドイメーサロンに向かう途中、交差点が止められて道路が大渋滞。こんな田舎道でいったいどうしたことかと、車を降りて様子を訊くと、
「日本のプリンスの車が通るのだ」
前夜、チェンラーイナイトバザールで見掛けた秋篠宮殿下が乗った車が、もうすぐここを通りかかるため、交差点を閉鎖しているということらしい。
タイではVIPの車が通行するとき、道路を優先することは良くあるので、もうここはじっと待つしかない。
メーファールアン、2005年。

2015年4月17日金曜日

メーファールアン庭園


皇太后の離宮のすぐ下にあるメーファールアン庭園。
外国に行く機会の少ないタイ人たちに、世界の花を楽しんでもらおうという意図で造られたものだ。様々な風土に咲く花を季節によって植え替え、一年中満開の花壇を鑑賞することができるという。
メーファールアン、2005年。

2015年4月15日水曜日

ドイトゥン・ロイヤルビラのテラス


皇太后の離宮内は撮影禁止だったが、大広間に続くテラスでの写真はOKとのことだった。
ここからは、庭園と彼方の山々を見晴らすことができる。
以前は、山岳民族がケシなどを栽培するため、焼畑農業で森林が破壊されていた。その後、代替作物を開発、この地の森林も再植林でよみがえったという。
メーファールアン、2005年。

2015年4月13日月曜日

ドイトゥン・パレスへ


ドイトゥン山頂から少し下って、次に訪れたのはドイトゥン・パレスだった。
ここには、皇太后が晩年住まわれた離宮と、色とりどりの花が植えられた植物園が、隣接して設営されている。
離宮内は撮影禁止のため、外観の写真だけが残っている。
メーファールアン、2005年。

2015年4月11日土曜日

ワット・プラタート・ドイトゥンへ


友人たちとレンタカーを借り、チェンラーイからドイトゥン山頂へ向かった。
ここには、1493年建造の、ワット・プラタート・ドイトゥンという寺院がある。ラーンナー様式のチェーディーが、双子のように並んでいる。
何故こんな高い所にお寺があるのか訊くと、答えは二つ・・・高い所は天国に近いから、参拝者に運動させて丈夫な身体にさせるため。
メーファールアン、2005年。

2015年4月9日木曜日

秋篠宮殿下もナイトバザールにいられた


友人たちとの会食の日、秋篠宮さまも偶然ナイトバザールに来られていた。
食事を終えた殿下は、お連れの人たちの車への誘導を軽く制して、自ら先頭にナイトバザールをひと回り。僕たちのすぐ目の前を通過していった。
チェンラーイ、2005年。

2015年4月7日火曜日

ナイトバザールでの会食


バンコクで待ち合わせた友人たちと、チェンラーイで再会。その晩、ナイトバザールでの食事会となった。
メニューは、トムヤム鍋、北タイソーセージ、ティラピア焼き、揚げ春巻き、もち米に、ビールはシンハーの生だろう。
夜に仲間と飲食を楽しむには、ナイトバザール(特に奥の方の食堂街)は最適で、ゆっくりと時間を気にせず、好きなものを好きなだけ食べれば良い。何より、夜空の下での食事が実に心地良い。
チェンラーイ、2005年。

2015年3月27日金曜日

踏切に列車が来る


バンコク市内の路線バスに乗っていたときのこと。
踏切の前後が渋滞していたら、バスに限らず車は踏切手前で待つのが当然でしょう。それをバスの運ちゃん、前に詰めてしまったのだ。まあ列車など殆ど来ないので、いつもそのようにしていたのかもしれない。ちょうど線路の真上で停車。
ところが、想定外のことは意外と頻発するもので、しばらくして来ない筈の列車の到来を告げる音が。さすがに車中全員ざわめき立った。
運ちゃんが窓から叫ぶ。勿論、僕も反射的に扉近くまで移動、いつでも飛び降りる準備に入っていた。機転を利かせた車掌が飛び降りて、前の車を少しずつ移動させ、危機一髪、バスも乗客も難を逃れることができた。
踏切を見る度に、 未だにこの体験が想い出される。

2015年3月20日金曜日

グレート上海で北京ダックを食す


2005年8月は、友人二人とバンコクで待ち合わせて、「グレート上海」という店に北京ダックを食べに行った。BTSプロムポン駅前にあるこの店は、当時のお気に入りで、人数が揃うとよく通ったものだ。
ダック肉の野菜炒めとスープを添えて、ビールを少し飲んでも、一人500バーツほどと格安だった。安くて美味ければ客も入り、時間帯によってはほぼ満席の状態が続いた。
最近は、値上がりしたこともあり、ちょっと足が遠ざかっている。
バンコク、2005年。